7月3日、朝7時頃、私は学校に行く前に、携帯から紗英にメールを送った。「具合が良くなったらでいいので返事をしてね。俺はとても心配だよ」お昼を過ぎ、夕方になっても夜になっても紗英からの返信は無かった。そして、そのまま数日が経った。陸上の練習も学校の授業も手に付かない状態が続いた。私は毎日のように母とも紗英のことについて話していた。母も日々、紗英のことを心配してくれていた。しかしながら、紗英の容体については、思い当たる節がなかった。
 7月10日、久しぶりに1日中雨が降り続いた日だった。夕方16時、服部先生が教室に入ってきてホームルームが行われた。先生は生徒達を見渡して言った。
「みんな、清少は意識が回復している。だから安心してくれ」
私はとっさに先生の発言に耳を傾け先生の顔を真剣に見つめた。クラスのみんなも先生の発言に耳を傾け息を呑みこむようにして聞いていた。
「先生、清少は病気なの!?」
私は先生に大きな声ではっきりと質問した。
「先生、何か知ってるんだろ!? 隠さないでよ!」
数名の生徒達も服部先生に向かって必死に質問していた。先生は一瞬黙り込んだ後、口を開いた。
「正直、何も聞かされていない…」
教室内でしばらく沈黙が続いた。
「あと1週間くらいすれば、清少のお見舞いにいける状態になるとのことだ。だから、それまでみんな気を落ち着けてな。清少の容体が落ち着いたら、みんなで時間を作ってお見舞いに行くようにしよう!」
服部先生は皆を励ますようにして声をかけていた。私は、この時、紗英の意識が回復していることが分かっただけで、とても安心した気持ちになった。とにかく、もう少し待てば、紗英はきっとまた元気な姿になるだろうという気持ちで、私自身も少しずつ落ち込んでいた気持ちから元気を取り戻していった。その日の夜に、母にも紗英の症状について話すと、母も少しホッとした様子であった。紗英が頑張っているのだから、私自身も頑張らなくてはならないという強い気持ちがだんだんと生まれ、しばらくサボり気味だった勉強なども、夜は集中して行うようにした。