自分の見た目をなんとかしようとするのは小六以来だ。
その時は、友達がいたしここまで後ろ向きではなかった。自分から話しかけて友達を作っていた。
小五の時、明るい性格の親友がいた。
その子は可愛い子で、負けないように私もおしゃれしていた。
小六ではその子と違うクラスになって、他の子と友達になった。
気を使わなくても楽しく過ごせる、そのままの自分を受け入れてくれる二人だった。
それなのに……。
男子と話すことが苦手だった私は、リーダー格の男子に嫌われ、いじめの対象になった。
少し手が当たっただけで、最悪の日だと言われた。
何度謝っても許してもらえなかった。
登校中、他のクラスの人にも死ねと言われた。
ついに自分を受け入れてくれた友達も巻き込んでしまった。
最後のクラスが学級崩壊した。特別懇談会でお母さんは涙を流して訴えたと言う。
一番ひどいと思ったことは、その次の日の学級裁判で被害妄想と言われたことだ。
現場を見ていた人が、聞いていた人が勘違いなんじゃない?と言った。
証拠を求められても、何も出せない。キーホルダーをつけるだけで怒られるような学校じゃ、カメラもテープレコーダーも持っていけない。
それから私は、自分から話しかけることが出来なくなった。
自分が話しかけることで不快にさせてしまうかもしれない。明日から、死ねと言われるかもしれない。
今でも思い出すと手が震える。かき消すために物を壊してしまうこともあった。
ずっと前のことなのにまだ治っていない。膿んでいた。
その時は、友達がいたしここまで後ろ向きではなかった。自分から話しかけて友達を作っていた。
小五の時、明るい性格の親友がいた。
その子は可愛い子で、負けないように私もおしゃれしていた。
小六ではその子と違うクラスになって、他の子と友達になった。
気を使わなくても楽しく過ごせる、そのままの自分を受け入れてくれる二人だった。
それなのに……。
男子と話すことが苦手だった私は、リーダー格の男子に嫌われ、いじめの対象になった。
少し手が当たっただけで、最悪の日だと言われた。
何度謝っても許してもらえなかった。
登校中、他のクラスの人にも死ねと言われた。
ついに自分を受け入れてくれた友達も巻き込んでしまった。
最後のクラスが学級崩壊した。特別懇談会でお母さんは涙を流して訴えたと言う。
一番ひどいと思ったことは、その次の日の学級裁判で被害妄想と言われたことだ。
現場を見ていた人が、聞いていた人が勘違いなんじゃない?と言った。
証拠を求められても、何も出せない。キーホルダーをつけるだけで怒られるような学校じゃ、カメラもテープレコーダーも持っていけない。
それから私は、自分から話しかけることが出来なくなった。
自分が話しかけることで不快にさせてしまうかもしれない。明日から、死ねと言われるかもしれない。
今でも思い出すと手が震える。かき消すために物を壊してしまうこともあった。
ずっと前のことなのにまだ治っていない。膿んでいた。