――――――
小さな雨音の中。
「ねぇ、私達別れない?」
今までの沈黙を破ったのは彼女だった。
「えっ…」
驚いたようなリアクションをしながらもほんとは気づいていた。彼女は俺に興味がなくなりつつあることを。
雨音が響く喫茶店にまた沈黙が落ちる。彼女は小雨が降る窓の外を眺めていた。小さな小さな喫茶店に二人きり。今度口を切ったのは俺だった。
「そっか…僕もそっちの方がいいのかもしれない。僕じゃ君にふさわしくなかったんだと思う」
「いや、別にそんなことはないよ!でも私の方こそ貴方にふさわしくなかった。貴方は面倒見がいいし、誰にでも優しいから、そんなところに甘えすぎちゃってた」
あぁ、またそのセリフ。
《面倒見がいい》《優しい》
何度このセリフを言われたことだろう。違う、俺は本当はそんなイイ奴なんかじゃない。
「いきなり呼び出してごめんね。その話をしたかっただけなの。どうしても直接話したくて」
「いや、こうやって話してくれて嬉しいよ」
嘘の仮面を貼り付けて微笑む。みんなこの顔が好きだから。
「それじゃあ私は行くね。今までありがとう。私よりもいい人見つけてね」
穏やかな笑みを浮かべてこちらを見る彼女。最後まで俺をただの優男だと思っているんだろう、そのアホみたいな笑顔が馬鹿らしい。
「うん、また。君にはもっとお似合いの人がいるよ。僕はまた新しい恋でも探すかな」
それらしい冗談を言って別れた。
彼女ともこれで終わりだ。だからって別に寂しいわけでもない。ただの上辺だけの関係だった人達の中の一人。
本当、人間関係とはめんどくさいものだ。
――――――
元々俺は世間一般で言う毒舌というものらしい。俺にはそんな自覚など無かったが周りの人がそう言うのだ。
周りの人といっても沢山友達がいる訳でもない。これもやはり性格の問題で思ったことをすぐに口にしてしまうから、いつも他人に嫌な思いをさせてしまうらしい。
常に隣にいるのは昔からの付き合いがある奴だけだった。別に友達がいなくても苦にならない。俺は俺らしく素直に生きていたいだけだった。
しかし、現実はそうもいかないようで、大学に進学すると人付き合いがいい方が円滑が進むことに気づいた。
俺は顔も悪い訳ではないらしく、それなりに女も寄ってきた。男友達にも囲まれ、女にも囲まれ、今までの自分が嘘のようだった。
そして初めて彼女ができた。告白のセリフは『すごく優しくて、面倒見がよくて、気が利いて…』確かそんなことを言われたような気がする。
その子の並べた言葉は全て“僕”のことでしかなかった。
上辺しか見えてないんだな…そう思ったが、その子のことは嫌いではなかった。むしろその子に対する好感度は高かったと思う。唯一「この子なら本当の自分を受け止めてくれるかもしれない」と初めて思える相手だったのだ。
それほどに俺たちは仲が良かったはずだったんだ。
これからもずっと一緒にいれると思っていたんだ。
ある日その子から別れを切り出された。俺の偽りの優しさなんかではなく、根から優しいその子は、自分だけが悪いかのように謝りながら、私のせいだから、と苦しそうに俺に別れを告げた。
嘘だ。本当は俺が傷つけてしまったんだ。近い距離になればなるほど本当の俺が滲み出てくる。
……人の心が分からない。
それから俺は徹底的に猫を被ることにした。今までは一人でも平気だったはずなのに、一度何かを手に入れて失ってしまうと、なんとも言えない孤独感が俺を支配した。なぜ今更昔のようになれないんだと嘆くも、過去は最早修復不可能だ。本当は俺は昔から寂しかったのかもしれない。それが余計に俺の態度を冷たいものにしたのかもしれない。
だから今からは付けた仮面を絶対に外さないと決めた。せめて上辺だけの関係でもいいから。上辺だけなんてめんどくさいだけなのに、それを望んでいる自分がいる。なんという矛盾だ。でももう独りにはなりたくない。
――――――
ふと考え込んでいたら雨は大降りになっていた。もちろん既に彼女の姿など見えるわけもない。ただ雨のザーザーという音だけが喫茶店に響く。
これで振られたのも何回目だろうか。そりゃあ薄っぺらい付き合いだけしていれば当たり前か。
独りは寂しくて辛い。でも猫を被り続けるのももう疲れた。
俺はどうするのが正解だったんだろうか。それとも正解なんてないのか。いや、正解とは自分で作るものなのだ。そう思ってはいても自分の心がそれについて行かない。
心がしんどい。
雨が止むまでここに居座るつもりだったが一向に止む気配はない。鈍色が空一面を染めている。スマホを取り出し、ここ一帯の天気予報を調べた。あと数時間はこの雨が降り続くらしい。
しまった、傘を持ってきていない。もっと前に天気予報を確認しておくべきだった。小雨のうちにここを出ておけばよかったと後悔する。
この喫茶店は俺のお気に入りで、人通りが少ない場所にあり、知る人ぞ知るような店だ。俺が借りているアパートから歩いて三十分のところにある。
この大雨の中、なにも持たずにアパートまで歩き続ければ、家に着く頃には服が雨に濡れて重たくなっていることだろう。だからといってこの距離でタクシーを使うのも馬鹿馬鹿しい。
とりあえず止むまでどうしようかと思案した。あまりにここに長居していても店長さんに悪い。
また少し考えて、外で雨宿りをすることに決めた。
これからどうしよう。色々なことを含めてどうしよう。仕方なく雨に濡れて帰るべきか。彼女の家にある私物は取りに行くべきか。そろそろ本当の自分に戻るべきなのか。
考えるのが面倒くさくなって、ポケットからタバコを取り出した。タバコの箱をトントンの軽く叩いて一本手に取る。普段他の人の前では吸うことは無いタバコ。無論、大学で吸うなんてもってのほかだ。
ガスの少なくなったライターで火をつける。なかなかつかないことにまた少し苛つく。
フリントホイールを何度も回して、やっと火がつき、タバコをふかす。
やはりこれが一番落ち着くのだ。
落ち着くはずなのに、自分が吐き出すもくもくとした煙がまるで自分の悩みのようで、それでまたその煙はこんな俺を嘲笑うかのようでもある。
…いい、もう考えるのはやめだ。
そうすると今度は愚痴がこぼれてくる。
「くっそ、俺はそんな優等生じゃねぇっつーの。まじ人間関係とかだりぃ」
ふと声に出た独り言。まぁいい。別に誰も聞いてやしないのだから。
「ふーん、あなたそういう人だったのね?」
一メートルほど離れたところから知らない女の声が聞こえて驚く。その上、俺を知っているかのような口ぶりに焦燥を感じた。俺の猫被りがバレてしまうかもしれない。
声の主のほうを向くと赤い傘を手に持った女が立っていた。この女には見覚えがある。
どれくらいか前、きっと二、三ヶ月前だったと思う。それは雨の降る日だった。
大学構内で図書館の方面に向かう赤い傘の女とすれ違った。どうして目に付いたというわけでもないが、ふと視界に入ってきたのだ。真っ赤で派手な傘なのに、その持ち主は際立って派手な人というわけでもない。かといって地味でもない。真っ直ぐ前を見据えていて、綺麗な人だと感じると共に恰好いいとも思った。
女の手元にはとある本が握られていた。それは俺が中学時代から愛読している作家の新作で、もちろん俺も持っている。
しかもその作家というのは相当マイナーであり、ネット上でしかその作家の愛読者とは話したことがない。
今では大学で人気者キャラとして確立していても、元はただの陰キャラなわけで昔は本が友達みたいなものだった。だから本にはそれなりに思い入れがあるし、今でもよく読んでいる。
きっと彼女のことが頭から離れなかったのは同じ作家が好きかもしれない、だから話してみたい、そんな好奇心があったからだ。
なぜ傘を持っているにも関わらずここで雨宿りをしているのか。そんな疑問はあるようでないも等しかった。そんな人に声をかけられ、それはもうあの作家の新作について語り合いたいのだ。胸の奥がゾクゾクとする。だがここですぐに本の話をするのはおかしいだろう。それなら俺なりの正攻法で行くべきだ。
「えーっと、初めまして。僕と君、どこかで会ったことあったかな?」
相変わらずの貼り付けたような笑顔で聞いてみる。
「あなた学校じゃ有名人じゃない」
「ていうことは僕同じ大学なのかな?それに人気者だなんて嬉しいな。これも何かの縁だし、僕とよろしくしてよ」
知っているくせに白々しく返事をする。自分でもよくこんなことが毎回できるよな、と思う。でもこれ以外に正解が分からないのだ。
「ねぇ、あなたさ。ずっと気になっているんだけど、その作り笑い疲れないの?」
はっ?
突然何を言い出すんだ。俺は驚いた。半開き状態の唇が小さく震える感覚がする。
まさか存在を認知していたとはいえ、初対面の相手に不意を突かれるとは思わなかった。
先程よりも土砂降りになっている雨だけが鼓膜を揺する。きっと数秒、否、一秒ですらなかったろう、それでしかないはずなのに一時間のように感じられた。
「いきなりだね。別に僕は作り笑いなんかしてないよ?」
しかし急いで顔を取り繕う。心臓がまだバクバク言っている。この女は次何を言い出すんだと、今までの好奇心などは何処かに消え失せ、恐怖が湧き上がってきた。
「ほら、その顔。見ていて疲れるの。もうそんな嘘つくのやめたら?」
嘘と言われまたドキッとする。
まさに今考えていたことを言われ、頭の中が混沌としてくる。まるで泥沼の中でもがいているようだ。
もうこの際どうでもよいのではないか?そんな気さえした。
「じゃあ一つ聞かせて、君って友達いるの?」
ちょっとした嫌味のつもりで言った。きっと昔の俺が同じ質問をされていたらかなり苛立って答えていたと思う。痛いところを突かれているのだから。
すると女は小さくアハハと笑い、
「いると思う?」
と逆に質問で返された。
聞いているのは俺なのに、何故質問で返してくるのだ、と思いつつも「いなさそう」とまた嫌味らしく答えた。
「大正解。でも私はあなたみたいに嘘をついて笑ってまで友達作りたいとは思わない」
相当失礼なことを言われているのだと思う。でもこのとき俺はそうは思わなかった。昔の自分を思い出したからだ。
昔はそんなことを言っていた自分がいた。でもどうせ孤独には勝てない。今はそれを知っている。
だから俺は問うてみた。
「これからの未来が寂しいものだとしても?」
すると鼻で笑いながら赤い傘の女は答えた。
「そのときはそのときでしょ。私は今を素直に全力で生きたいから。未来とか考えたって実際どうなるかなんて確証はないでしょ」
この人はきっと強い人なんだ。昔の俺なんかより。
俺はこの瞬間この人に惹かれたと自覚した。
もっとこの人のことを知ってみたい。例の本の話も含めて。そう思ったのは初めてだった。
だから俺は彼女に言ったんだ。
「よかったら俺と連絡先交換しませんか」
――――――雨は未だ降り止まない。
小さな雨音の中。
「ねぇ、私達別れない?」
今までの沈黙を破ったのは彼女だった。
「えっ…」
驚いたようなリアクションをしながらもほんとは気づいていた。彼女は俺に興味がなくなりつつあることを。
雨音が響く喫茶店にまた沈黙が落ちる。彼女は小雨が降る窓の外を眺めていた。小さな小さな喫茶店に二人きり。今度口を切ったのは俺だった。
「そっか…僕もそっちの方がいいのかもしれない。僕じゃ君にふさわしくなかったんだと思う」
「いや、別にそんなことはないよ!でも私の方こそ貴方にふさわしくなかった。貴方は面倒見がいいし、誰にでも優しいから、そんなところに甘えすぎちゃってた」
あぁ、またそのセリフ。
《面倒見がいい》《優しい》
何度このセリフを言われたことだろう。違う、俺は本当はそんなイイ奴なんかじゃない。
「いきなり呼び出してごめんね。その話をしたかっただけなの。どうしても直接話したくて」
「いや、こうやって話してくれて嬉しいよ」
嘘の仮面を貼り付けて微笑む。みんなこの顔が好きだから。
「それじゃあ私は行くね。今までありがとう。私よりもいい人見つけてね」
穏やかな笑みを浮かべてこちらを見る彼女。最後まで俺をただの優男だと思っているんだろう、そのアホみたいな笑顔が馬鹿らしい。
「うん、また。君にはもっとお似合いの人がいるよ。僕はまた新しい恋でも探すかな」
それらしい冗談を言って別れた。
彼女ともこれで終わりだ。だからって別に寂しいわけでもない。ただの上辺だけの関係だった人達の中の一人。
本当、人間関係とはめんどくさいものだ。
――――――
元々俺は世間一般で言う毒舌というものらしい。俺にはそんな自覚など無かったが周りの人がそう言うのだ。
周りの人といっても沢山友達がいる訳でもない。これもやはり性格の問題で思ったことをすぐに口にしてしまうから、いつも他人に嫌な思いをさせてしまうらしい。
常に隣にいるのは昔からの付き合いがある奴だけだった。別に友達がいなくても苦にならない。俺は俺らしく素直に生きていたいだけだった。
しかし、現実はそうもいかないようで、大学に進学すると人付き合いがいい方が円滑が進むことに気づいた。
俺は顔も悪い訳ではないらしく、それなりに女も寄ってきた。男友達にも囲まれ、女にも囲まれ、今までの自分が嘘のようだった。
そして初めて彼女ができた。告白のセリフは『すごく優しくて、面倒見がよくて、気が利いて…』確かそんなことを言われたような気がする。
その子の並べた言葉は全て“僕”のことでしかなかった。
上辺しか見えてないんだな…そう思ったが、その子のことは嫌いではなかった。むしろその子に対する好感度は高かったと思う。唯一「この子なら本当の自分を受け止めてくれるかもしれない」と初めて思える相手だったのだ。
それほどに俺たちは仲が良かったはずだったんだ。
これからもずっと一緒にいれると思っていたんだ。
ある日その子から別れを切り出された。俺の偽りの優しさなんかではなく、根から優しいその子は、自分だけが悪いかのように謝りながら、私のせいだから、と苦しそうに俺に別れを告げた。
嘘だ。本当は俺が傷つけてしまったんだ。近い距離になればなるほど本当の俺が滲み出てくる。
……人の心が分からない。
それから俺は徹底的に猫を被ることにした。今までは一人でも平気だったはずなのに、一度何かを手に入れて失ってしまうと、なんとも言えない孤独感が俺を支配した。なぜ今更昔のようになれないんだと嘆くも、過去は最早修復不可能だ。本当は俺は昔から寂しかったのかもしれない。それが余計に俺の態度を冷たいものにしたのかもしれない。
だから今からは付けた仮面を絶対に外さないと決めた。せめて上辺だけの関係でもいいから。上辺だけなんてめんどくさいだけなのに、それを望んでいる自分がいる。なんという矛盾だ。でももう独りにはなりたくない。
――――――
ふと考え込んでいたら雨は大降りになっていた。もちろん既に彼女の姿など見えるわけもない。ただ雨のザーザーという音だけが喫茶店に響く。
これで振られたのも何回目だろうか。そりゃあ薄っぺらい付き合いだけしていれば当たり前か。
独りは寂しくて辛い。でも猫を被り続けるのももう疲れた。
俺はどうするのが正解だったんだろうか。それとも正解なんてないのか。いや、正解とは自分で作るものなのだ。そう思ってはいても自分の心がそれについて行かない。
心がしんどい。
雨が止むまでここに居座るつもりだったが一向に止む気配はない。鈍色が空一面を染めている。スマホを取り出し、ここ一帯の天気予報を調べた。あと数時間はこの雨が降り続くらしい。
しまった、傘を持ってきていない。もっと前に天気予報を確認しておくべきだった。小雨のうちにここを出ておけばよかったと後悔する。
この喫茶店は俺のお気に入りで、人通りが少ない場所にあり、知る人ぞ知るような店だ。俺が借りているアパートから歩いて三十分のところにある。
この大雨の中、なにも持たずにアパートまで歩き続ければ、家に着く頃には服が雨に濡れて重たくなっていることだろう。だからといってこの距離でタクシーを使うのも馬鹿馬鹿しい。
とりあえず止むまでどうしようかと思案した。あまりにここに長居していても店長さんに悪い。
また少し考えて、外で雨宿りをすることに決めた。
これからどうしよう。色々なことを含めてどうしよう。仕方なく雨に濡れて帰るべきか。彼女の家にある私物は取りに行くべきか。そろそろ本当の自分に戻るべきなのか。
考えるのが面倒くさくなって、ポケットからタバコを取り出した。タバコの箱をトントンの軽く叩いて一本手に取る。普段他の人の前では吸うことは無いタバコ。無論、大学で吸うなんてもってのほかだ。
ガスの少なくなったライターで火をつける。なかなかつかないことにまた少し苛つく。
フリントホイールを何度も回して、やっと火がつき、タバコをふかす。
やはりこれが一番落ち着くのだ。
落ち着くはずなのに、自分が吐き出すもくもくとした煙がまるで自分の悩みのようで、それでまたその煙はこんな俺を嘲笑うかのようでもある。
…いい、もう考えるのはやめだ。
そうすると今度は愚痴がこぼれてくる。
「くっそ、俺はそんな優等生じゃねぇっつーの。まじ人間関係とかだりぃ」
ふと声に出た独り言。まぁいい。別に誰も聞いてやしないのだから。
「ふーん、あなたそういう人だったのね?」
一メートルほど離れたところから知らない女の声が聞こえて驚く。その上、俺を知っているかのような口ぶりに焦燥を感じた。俺の猫被りがバレてしまうかもしれない。
声の主のほうを向くと赤い傘を手に持った女が立っていた。この女には見覚えがある。
どれくらいか前、きっと二、三ヶ月前だったと思う。それは雨の降る日だった。
大学構内で図書館の方面に向かう赤い傘の女とすれ違った。どうして目に付いたというわけでもないが、ふと視界に入ってきたのだ。真っ赤で派手な傘なのに、その持ち主は際立って派手な人というわけでもない。かといって地味でもない。真っ直ぐ前を見据えていて、綺麗な人だと感じると共に恰好いいとも思った。
女の手元にはとある本が握られていた。それは俺が中学時代から愛読している作家の新作で、もちろん俺も持っている。
しかもその作家というのは相当マイナーであり、ネット上でしかその作家の愛読者とは話したことがない。
今では大学で人気者キャラとして確立していても、元はただの陰キャラなわけで昔は本が友達みたいなものだった。だから本にはそれなりに思い入れがあるし、今でもよく読んでいる。
きっと彼女のことが頭から離れなかったのは同じ作家が好きかもしれない、だから話してみたい、そんな好奇心があったからだ。
なぜ傘を持っているにも関わらずここで雨宿りをしているのか。そんな疑問はあるようでないも等しかった。そんな人に声をかけられ、それはもうあの作家の新作について語り合いたいのだ。胸の奥がゾクゾクとする。だがここですぐに本の話をするのはおかしいだろう。それなら俺なりの正攻法で行くべきだ。
「えーっと、初めまして。僕と君、どこかで会ったことあったかな?」
相変わらずの貼り付けたような笑顔で聞いてみる。
「あなた学校じゃ有名人じゃない」
「ていうことは僕同じ大学なのかな?それに人気者だなんて嬉しいな。これも何かの縁だし、僕とよろしくしてよ」
知っているくせに白々しく返事をする。自分でもよくこんなことが毎回できるよな、と思う。でもこれ以外に正解が分からないのだ。
「ねぇ、あなたさ。ずっと気になっているんだけど、その作り笑い疲れないの?」
はっ?
突然何を言い出すんだ。俺は驚いた。半開き状態の唇が小さく震える感覚がする。
まさか存在を認知していたとはいえ、初対面の相手に不意を突かれるとは思わなかった。
先程よりも土砂降りになっている雨だけが鼓膜を揺する。きっと数秒、否、一秒ですらなかったろう、それでしかないはずなのに一時間のように感じられた。
「いきなりだね。別に僕は作り笑いなんかしてないよ?」
しかし急いで顔を取り繕う。心臓がまだバクバク言っている。この女は次何を言い出すんだと、今までの好奇心などは何処かに消え失せ、恐怖が湧き上がってきた。
「ほら、その顔。見ていて疲れるの。もうそんな嘘つくのやめたら?」
嘘と言われまたドキッとする。
まさに今考えていたことを言われ、頭の中が混沌としてくる。まるで泥沼の中でもがいているようだ。
もうこの際どうでもよいのではないか?そんな気さえした。
「じゃあ一つ聞かせて、君って友達いるの?」
ちょっとした嫌味のつもりで言った。きっと昔の俺が同じ質問をされていたらかなり苛立って答えていたと思う。痛いところを突かれているのだから。
すると女は小さくアハハと笑い、
「いると思う?」
と逆に質問で返された。
聞いているのは俺なのに、何故質問で返してくるのだ、と思いつつも「いなさそう」とまた嫌味らしく答えた。
「大正解。でも私はあなたみたいに嘘をついて笑ってまで友達作りたいとは思わない」
相当失礼なことを言われているのだと思う。でもこのとき俺はそうは思わなかった。昔の自分を思い出したからだ。
昔はそんなことを言っていた自分がいた。でもどうせ孤独には勝てない。今はそれを知っている。
だから俺は問うてみた。
「これからの未来が寂しいものだとしても?」
すると鼻で笑いながら赤い傘の女は答えた。
「そのときはそのときでしょ。私は今を素直に全力で生きたいから。未来とか考えたって実際どうなるかなんて確証はないでしょ」
この人はきっと強い人なんだ。昔の俺なんかより。
俺はこの瞬間この人に惹かれたと自覚した。
もっとこの人のことを知ってみたい。例の本の話も含めて。そう思ったのは初めてだった。
だから俺は彼女に言ったんだ。
「よかったら俺と連絡先交換しませんか」
――――――雨は未だ降り止まない。