林羅山はハビアンとの論争で、
イエズス会の信者拡大により苦境
にあった既存の宗教界から支持さ
れるようになり、羅山の幕府仕官
に難色を示していた相国寺の承兌
長老、円光寺の元佶長老らの不満
も解消した。しかしこの頃、徳川
家では別の問題が起きていた。将
軍、秀忠の長子、竹千代が高熱を
出したのだ。
 先に秀忠の正室、お江与は、次
男の国松を産み、乳母を決めず自
分で育てるという前例のない行動
にでたため、周りからは将来、竹
千代との間で家督争いが起きるの
ではないかと心配されていた。そ
の矢先の竹千代の病気は色々な憶
測を呼んだ。
 秀忠はその悪い噂を打ち消そう
と多数の侍医に診せ、祈祷までし
たが竹千代の病状は一進一退を繰
り返していた。
 そんなことが起きているとは知
らない羅山は、いつものように伏
見城にある家康所蔵の書物を閲覧
していた。そこへ家康が青ざめた
顔をしてやって来た。
「羅山殿、竹千代が高熱で苦しん
でおる。麻黄湯やわしの煎じた薬
を色々試したが回復の兆しがな
い。何かよい漢方薬はないか」