豊臣勢の真田幸村、毛利勝永、
後藤基次は河内の途中、国分で徳
川勢を迎え撃つ策を決めた。この
頃、辺りは濃霧がたちこめ始めて
いた。
 基次は藤井寺で幸村、勝永の部
隊を待ったが予定の刻限になって
も来ないため先に出発した。
 その頃、幸村、勝永の兵らは秀
頼と淀を遁れさせるための通路を
大坂城内の台所の中に掘ってい
た。
 通路が掘り終わった頃には霧が
濃くなっていた。
 幸村、勝永の部隊はやっと出発
したが、濃霧に阻まれた。
 基次が国分に到着した時にはす
でに徳川勢が待機していた。
 基次は幸村、勝永と同じように
徳川に内通しているのではないか
と豊臣勢から疑われていたため、
ここで引き返すわけにはいかず、
討ち死にする覚悟で戦う準備を始
めた。
 迎え撃つ伊達政宗、水野勝成の
部隊は一気に攻め基次は討ち死に
した。しばらくして到着した豊臣
勢の明石全登、薄田兼相の部隊も
敗れ兼相が討ち死にした。