信じられない

幼い頃私は、とても優しい母と、父がいた。それは当たり前のこと。…そう思っていた。

「…恐らく、佳苗さんは、もう…」
「……無理…なんですか…?」
「…………はい…」
「……っ…う…」
幼かった頃の私は、お父さんとお医者さんが何を話しているか分からなかった。
ただ唯一分かっていたのは、お父さんの悲しそうな顔と、先生の、重い声だった。
「ねぇねぇ、お父さん。お母さんの病気治るのー?」
「…うん…治るよ…」
「でも何でさっきお父さん泣いてたのー?」
「ん?…お母さんが治るって聞いて嬉しかったからだよ。」
「絶対、絶対治るー?」
「……うん。絶対、治るよ…」
「やった~!!」
この頃の私は『絶対』の言葉を信じていた。
お母さんは絶対、治ると。

その一ヶ月後、お母さんは天国へ行ってしまった。
「お母さん?…お母さん!!どうしたの!?…絶対、絶対治るんじゃなかったの!?お父さん言ってたのに!!…………うわあぁぁぁぁぁ…」
「…っ…真冬っ…ごめん…ごめんな…嘘…ついて…」
お母さんの癌の進行は早く、もう、一流の医者でも治せなかったという。
この時から私は『絶対』という言葉を信じなくなった。

「ねぇねぇ!真冬ちゃん、マラソン一緒に走らない?」
「…え~?私、遅いよ?だから、いいよ。」
「大丈夫!絶対置いていかないから!」
「…じゃあ…いいよ…」
一度信じてみたけれど、やっぱり置いていかれた。
「…やっぱり…だから、信じられないんだよ…」
その人の言い訳は
「ごめ~ん、他にも速い人いたから、その人について行っちゃった。ごめんね?また今度、一緒に走ろうよ!今度は絶対置いていかないから!」
「……ごめん、私、いいや。一人で走りたいから。」
「そっかぁ…」
また、置いていかれると思った。
何度も何度も友達を信じても、裏切られるだけだった。
「私達、これからも絶対一緒だよ!」
こうやって、誓い合っても結局
「あんた、私の〇〇取らないでよ。もうあんたは私の友達じゃない!!」
理不尽な理由で、こうなるだけだった。
誰しも、やっぱり自分が一番なんだとこの時思った。
今、私の唯一の友達は、梓だ。
梓だけは、信じられる。
けど、やっぱりまだ怖い。
また裏切られるんじゃないか。
仲間外れにされるんじゃないか。
こんなことをいつも考えている私は馬鹿だ。
…人をなかなか信じられない。
こんな自分は大嫌いだ。
いつか人を好きになっても、母のように、失ってしまうのが怖くて。
…恋なんてしないと、決めたのだ。
ずっとなんて、絶対なんて、無いのだから。
そんな時、事件は起きた。

「ただいま。」
いつものように帰宅すると、お父さんは、深刻な表情をしてリビングに座っていた。
「あれ?お父さん。今日は早いんだね。」
「…あぁ…おかえり。真冬。」
「夜ご飯は?まだ食べてない?作るよ。」
「…真冬に、話したいことがあるんだ。」
急に真剣な話をしたいと持ちかけられたので、少し怖かった。
「…何?」
「実は…お父さん、再婚を考えてるんだ。」
ドクンと、心臓が脈打ったのが聞こえた。
「…え…?再婚…?」
「…好きな人が、できたんだ。真冬だって、お母さんがいなくて寂しかっただろう?だから…」
「…お父さんにとって、お母さんは一番じゃなかったの?絶対お母さん以外は選ばないんじゃなかったの!?お父さん、昔そう言ってたじゃない!!」
「佳苗より素敵な人がいたんだよ!!」
「……何、それ……」
「…一目惚れ……だったんだ。」
「何なの、それ!?…だからお父さんの絶対は信じられないのよ!!」
お父さんは、昔お母さん以外の人は絶対好きにならないと言っていた。
なのに…
「美紗希さんは、いつも僕のことを考えてくれてるんだ!!佳苗と違って!」
…佳苗と違って…?
美紗希さんは、お父さんのことを考えてくれる…?それは、もう二人は付き合ってると言ってるようなものだ。
その言葉が私の心をぶち壊した。
「お母さんだって、いつも私達のこと考えてくれてたじゃない!」
「佳苗は、真冬のことしか考えていなかったんだよ!癌になった時だって、真冬のことしか言っていなかった!真冬には、この事内緒にしてねとか、真冬はどう思うかなとか、そんなことばっかりだ!僕のことは一切考えてもいない!」
「親が子供のこと考えて何が悪いのよ!?しかも、お父さんのこと、しっかり考えてたよ!」
お父さんはこんなにも最低な人だったなんて、思ってもいなかった。
「…そんなこと…無いだろ…だって…」
「お母さんは、私が羨ましいと思うくらいにお父さんの話をしてたよ。…今日の夜ご飯は何にしたらお父さんは喜んでくれるかな、とか、これお父さんのお土産に買って行ってあげよっかとか…そんな無神経なこと言わないでよ!お母さんのこと、何も知らなかったくせに!!」
いつの間にか私は涙をぼろぼろとこぼしていた。
「…そ…なのか…?…っ…ごめ…佳苗…」
「…もう、知らない…お父さんの勝手にすればいいじゃない…」
勢いよく階段を駆け上がると、自分の部屋に入り、さっきまで、堪えられずに流した涙を拭いた。けれど、涙は溢れるばかりだった。
「…っ何で…あんなこと言うのよっ…」
何で?お父さんにとってお母さんは何だったの?
毎日美味しいご飯を作ってくれたり、いい匂いのする洗剤を使って洗濯をしてくれたり、部屋をピカピカに掃除してくれたりする、ただのお手伝いさん?
…ううん、違う。
お父さんは、愛されたかったんだ。
私がきっと、羨ましかったんだ。
お母さんが陰でこそこそ、お父さんへの愛を語っていたけれど、きっとお父さんは、目の前で愛情表現をして欲しかったんだ。
…お父さんは自分勝手だ。
今度はお母さんがいなくなったから寂しくて、きっと新しい人を探していたんだ。
それで、美紗希さんに一目惚れをした。
私は、美紗希さんを知らない。
そんなこと言われたって、いいよって言う訳がない。
「……はぁ…」
私は一人ため息をつきながら、眠りについた。

「…おはよう。真冬…」
「…」
この日、私は、お父さんのことを無視してしまった。
「…なぁ…再婚の事なんだけど…」
「…もう学校行くから。」
「そうか…行ってらっしゃい…」
家のドアを勢いよく閉めると、走って学校に行った。…特に何の理由も無いけれど…
「…おはよ。」
「おはよ。今日は早いんだな。」
今日は、特別来るのが早かったので、粉雪と二人きりだった。
「……うん。でも、粉雪も早いね。」
「…おう……それより、何かあったのか…?」
急に粉雪がこんなことを聞いてきたので、涙がこみ上げてきた。
「………っううぅっ……」
「えっ…?ど、どうした?」
「…お父さんがっ…お父さんが~!」
「…うん。聞くよ…」
私は号泣しながら、粉雪に昨日あったことを全て話した。

「…そうか。大変だったな。」
「…話、聞いてくれてありがと…」
「うん…」
私は、粉雪に、人をなかなか信じられないことも話した。
けれど、粉雪は何かが、違った。
私の中で、何かが、動き始めた。
ずっと、人は信じられない。
なのに…
「…どうして…?」
ぽつりと呟いた。
この時、私は初めて、人を完全に信じたのだ。