母さんとの結婚は単なる成り行きだった。


父親は俺に対して一度たりとも名前で呼んでくれた試しがなかった。



小学校に上がって気が付いた時には、父親の俺への待遇が始まり酷いもので虐待のような扱いを受けていた。



刃物や物を向ける事しなかったが、暴力や罵倒は茶飯事だった。



更に一緒に囲んで食事させてくれなくて、いつも自室で1人で食事を取っていて、一緒にどこか出掛ける事もなく、いつも1人でお留守番状態だった。



物を隠されたり食事を捨てられたり服を破かれたり、いつも散々だった。



その反面、妹に対してはいつも甘々で可愛がり親バカぷりだった。



唯一の安らぎは父親と妹がいない時の、母さんとじいちゃんと食べる食事と3人だけのお出かけだった。



あの人はいつも言っていた、『お前はおまけ生かされた可哀想で惨めな子だ。だから俺はお前の事は息子とは思いたくない。お前はこれからも惨めで可哀想な人生を歩むんだよ。そう決まっているからな』と。


そして、父親から虐待されている俺に対して母さんはいつも謝っていた。


『ごめんね、ごめんね。こんな思いさせるつもりなかったのに。なのに、私が産んでしまったから矢吹は辛い思いをするはめになって。本当にごめんなさい』と。



じいちゃんはそんな俺を見て苦しそうな顔で見つめていた。



母さんやじいちゃんは俺を手助け出来ても、本当の意味で助け出す事は出来ないでいた。




゛可哀想で惨めなおまけ゛



父さんは俺に口癖のようにいつも言っていた。



それが俺に対してのレッテルで肩書きみたいなものだった。



そんな俺を見て幼なじみは『可哀想』といつも言っていた。



だけど俺は、みんな揃えて言う『可哀想』という言葉に違和感を憶えていたのだった。