その無表情な顔のまま、捉えられた手首。
 上下に何度も振って払おうとしたのに、余計に握る力が強くなった。
 それはいつもの圭さんの優しい手じゃなかった。
 もう抵抗はやめた。

 強引に連れられた防音室。
 私を押し込むと、圭さんは後ろ手に扉をピッタリと閉めた。
 ピアノを背にしてイスに座らされる。
 圭さんは立ったままで、私を見下ろした。

 少しの沈黙の後、
「これ、」圭さんがジーパンのポケットから取り出したのは名刺?
 私に差し出した。

『名古屋市○区役所 総務課

  白岩 要一 』

 要一君の…
 受け取った名刺に落としていた視線を、圭さんに戻した。

「なんで圭さんが?」

「週刊誌を見て、弥生だって分かったんだって。
白黒だし、顔隠れてんのにな。すごいよ」

「どこで会ったの?」

「ここに、訪ねてきた」

 知らなかった。
 家も仕事もないと気づかれたら、帰って来いって言われると思った。
 だから連絡を絶ったのに。
 きっと圭さんのことを調べ上げて、ここに辿り着いてしまったんだ。


「弥生と結婚したいってさ」

 圭さんの長いまつげが、瞳に影を落とした。

 結婚?
 要一君と?

「私が好きなのは、」
「寝たんでしょ?」

 酷いことを言う唇を睨んだ。

 でも私に優しく触れたあの唇が、好きだった。
 泣きボクロも指も、意地悪でも、嫉妬深くても…


 それでもやっぱり圭さんが好きだった。