やっと、教室の前までたどり着くと、立ち止まった颯見くんが、ゆっくり振り返った。

 少し。少しだけ。颯見くんの頬が赤く染まっているような、気がする。

 颯見くんは、わしゃっと自分の髪をかきあげた後、眉を下げた。

「……大丈夫だった?」

 不安も混ざったような、優しい声。
 考える間も無く、口を開いていた。

「嬉しかった、よ」

 そう答えていた私に、颯見くんは一瞬目を見開いて、くしゃりと笑った。

「やった」

 満面の笑みでそう言った颯見くんに、トクン、と胸の奥で音が鳴る。
 颯見くんが、好き。そう心が訴える。

「あ! 颯見おかえりー!」

 ガラッと教室のドアが開いて、吉田くんが現れた。

「雫! 大丈夫だった?」

 その後に続くようにして倖子ちゃんが駆け寄ってくる。
 頷くと、倖子ちゃんは安心したように息をついた。

「おぉ、一件落着っぽいな! 俺のおかげじゃね?」

「ちょっと吉田! あたしの肩に手置くな! 馴れ馴れしい!」

「えー照れてんのー? 寺泉って俺のことが好きだよなー」

「はああ!? マジキモい意味不明なんですけど」

「素直になれよ」

「……キモい」

 二人のやりとりが、教室の入り口で絶え間なく繰り広げられる。

 なんとなく、颯見くんと鈴葉ちゃんの掛け合いにも似たものを感じて、微笑ましく思った。

 きっと二人とも、口では言い合っているけれど、本気ではなくて、少し楽しそうにも見えるのは気のせいじゃない。

「吉田と寺泉ってあんな仲良かったっけ」

 私と同じことを感じ取ったであろう颯見くんがポツリと呟いた。

「何か、あったのかな」

 私が答えると、颯見くんが「だよな」と頷く。

 そっと、二人から颯見くんに視線を移すと、それを感じ取ったらしい颯見くんが、私を見た。

 繋がった視線に、少し前のキスがフラッシュバックする。

 一気に押し寄せた緊張を無理やり沈めて、他のことを考えようと思考を動かすと、颯見くんが困ったように視線を外した。

「でも、今は二人のことはいいや」

 どういうことだろう、と思って、颯見くんの綺麗な二重の目を見つめる。
 そこから伸びる長めの睫毛が影を作って、つい見とれてしまう。

「今、俺、結構いっぱいいっぱいなんだよ」

 スッとその目が私に向いて、思わず、は、と息を吐いた。

「さっきの……アレ、とか、すげー緊張したし」

 “アレ”がキスのことだということは、すぐにわかって、急に恥ずかしくなる。

「……て、何言ってんだ俺。かっこわりー」

 独り言のように呟いた颯見くんに、思わず首を横に振った。

「わ、私も、すごく緊張した、よ」

 言ってから、また恥ずかしくなって、顔をうつむける。

「そ、そっか」

 だけど返ってきた声は、ぎこちないけど、なんだか嬉しそうに聞こえて、そっと顔を上げた。

「おあいこだな」

 くしゃ、と。颯見くんは、いつもの笑顔で言った。
 胸の奥が温度を上げる。


 夏の終わり、秋の始まり。体育祭前の浮き立った、そんな季節に。
 サワサワと、春風が爽やかに吹き抜けた、気がした。



――end