翌日。

「もう一回いくよー! せーの!」

 昨日と同じグラウンドの一角で、声を揃えて縄の上を跳ぶ。
 みんなの息遣いと、必死な掛け声。縄に叩かれて舞う砂埃。
 私の少し靄のかかった気持ちも一緒に、高く青い空に吸い込まれていく。

「ろくじゅにー、ろくじゅさん、」

 必死に跳ぶことだけを考えて、声を出す。そんな今の時間に、少し救われている。

「ななじゅきゅー、はーちじゅ、」

 みんなの掛け声も息絶え絶えで、息も苦しいし、肺も痛い。だけど、なんだか気持ち良い。

「はちじゅさん、はちじゅし、」

 84の掛け声と共に跳ぼうとした縄が、きゃ、という誰かの短い悲鳴の後に止まった。

「ケイコ! 大丈夫!?」

 荒い息を吐いた瞬間に、どわっとどよめいた空気が広がる。

「ケイコちゃん! 口から血が……!」

 そんな声が聞こえて振り向くと、ケイコちゃんが地面に手を付き、みんなに支えられながら起き上がろうとしていた。
 縄が引っかかって転けたのか、砂のついた頬から口元が赤く滲んでいる。

 慌てて駆け寄ると、立ち上がったケイコちゃんは、痛々しく顔を歪めていた。

「俺、保健室連れて行くから、えーっと……佐々木と枡屋もついてきて!」

 駆け寄った颯見くんが、そう言ってケイコちゃんの腕を肩に回す。

「枡屋! 反対側、頼むよ」

「え、あ、ああ」

 颯見くんに指示されて、枡屋くんがケイコちゃんのもう片方の腕を首に回した。

「歩ける?」

「あ、うん。ごめん」

 颯見くんと枡屋くんに支えられ、佐々木さんに付き添われながら、ケイコちゃんが場を離れていく。

「颯見さっすが。枡屋を指名するなんて、わかってんじゃーん」
「ケイコちゃん枡屋のこと好きだもんね」
「だけど、あの怪我大丈夫かなぁ」

 小さく騒つく声を聞きながら、そういえば夏休み前の花火合戦で、そんなことを言っていたなぁなんて思い出した。

 遠くなっていく四人の姿。

 颯見くんはこういう時でもよく気が回って優しいんだなぁ。ケイコちゃんの怪我、すごく痛そうだったけど、大丈夫なのかなぁ。

「あー、えーっと……つーことで今日の練習はここまでー!」

 吉田くんがいつもより締まりのない号令をかけて、今日の大縄練習が終わった。


 教室に戻ると、いつもの少し浮き立った空気。
 だけど、颯見くんはいない。
 
 保健室からまだ帰ってきていないんだろう。それはケイコちゃんの怪我が軽いものではなかったってことで。ケイコちゃんの怪我も心配なはずなのに。どうしてか、それ以上に、颯見くんがここに居ない寂しさの方が、大きい。
 なんだか私って嫌な人間だな。

 ――簡単にキスとかそういうのしたくねーから
 昨日からずっと、そんなことばかり考えて、本当に嫌な人間だ。

「ねー雫、アイス食べたくない?」

 不意に倖子ちゃんがそんなことを言い出した。

「えっ、あ、うん」

 考える前に勢いで頷いてしまって、あ、と声を漏らしたけど、倖子ちゃんは笑って私の手をとる。

「んじゃ買いに行こー!」

「え、あっ」

 なかば強引に腕を引かれて、教室を出た。

 どこのクラスも大縄練習でグラウンドに出ていて、日中の休み時間とも、いつもの放課後とも、少し違う廊下。

 前方から練習を終えて帰って来るどこかのクラスの集団が、道幅を占領しながら向かってきた。

「あ! あの子!」
「え、なになに?」
「ほら、颯見くんの彼女」
「え、あの子!?」

 少し潜めた声が、飛んでくる。

 こういうことは何度かあった。それは颯見くんがどれほど人気者かということを表していて、改めて颯見くんはすごい人だと尊敬する、反面。
 その囁き声と、向けられる視線に、あまり良い空気は感じられなくて、なんだか早くその場から居なくなりたい気持ちになる。

 視線を廊下の床に向けて、端へ寄ろうとした手を、倖子ちゃんに引っ張られた。

「前向いて。堂々としてな」

 そう言いながら、ズカズカと、向かってくるクラスの集団の真ん中を、割って進んでいく。

「あっ、倖子ちゃん」

 引っ張られながら、集団の真ん中に出来た道筋を進んで抜けた。

 通り抜けた集団の視線が後ろから刺さっているような気がするけど、ひとまず肩の力が抜ける。

「あんな廊下いっぱい広がってたら邪魔だっつーの」

 倖子ちゃんが遠慮のない声で呟いた。

 倖子ちゃんは、すごい。私が嫌な気分になったのを察して、自信を持たせようとしてくれたんだ。
 一緒にいてくれるだけで、どれほど助けられているかわからない。

 私も、倖子ちゃんに何か返したい。私といることで、倖子ちゃんにプラスになることって何かあるかな。
 そんなことを考えながら、保健室に続く階段に差し掛かった。

 アイスが売っている自動販売機は階段を下りる手前の壁際にある。
 だけど倖子ちゃんはそれを横切って、当たり前のように階段に進んだ。

 倖子ちゃんが私を連れ出した目的がアイスでないことは、なんとなく予想できていた。
 私も何も言わないまま、倖子ちゃんの隣に並んで階段を下っていく。
 倖子ちゃんは私を、保健室へ――颯見くんのもとへ連れて行こうとしている。

 きっと、教室に颯見くんが居なくて寂しいと思ったことを、見抜かれていたんだ。
 そう改めて思うと、途端に恥ずかしさがこみ上げてきて、足元に視線を下げた。