◆◇◆◇
教室に入ると、まだクラスの半数ぐらいが残っていて、ガヤガヤと楽しそうにお喋りを繰り広げている。
体育祭前は部活がないから、いつもとは違う特別感で、みんな浮き立っているみたいだった。
こういう空気は、少し好き。
そんななかで、ひときわ賑やかな男子の集団に目がいく。男子に囲まれて、楽しそうに笑う颯見くん。
「あ! おかえり!」
パチっと視線が繋がって、ドキッと心臓が跳ねた。
さっきまで倖子ちゃんと話していたことが、また蘇る。
私、さっきまで、颯見くんとキスするところ、勝手に想像してしまってたんだ。
急に顔が見れなくなって俯くと、隣からクスッと倖子ちゃんの短い笑い声。
「雫、頑張れ! いい報告待ってるね!」
ポンポンと肩を叩かれて顔を上げると、倖子ちゃんは楽しそうに席に戻っていった。
「哀咲、」
ふと気付いたら隣に準備を済ませた颯見くんが立っていて、柔らかい笑顔が落ちてきた。
「帰ろ」
優しい声に、火照ったままの頬を隠すように頷いて、帰る用意を始める。
颯見くんの視線が私に向いていることがわかるから、なんだか緊張してしまう。
今はそれだけの理由じゃないけれど。
荷物を詰めた鞄を持って振り向くと、思ったよりも至近距離に颯見くんが立っていて、ハッと息を吐いた。
「颯見ぃ、俺を置いて先に帰るのかー」
「ドンマイ吉田、頑張れ居残り補習!」
颯見くんの制服の白シャツが、笑い声に合わせて動く。
颯見くんはいつも通りなのに、私だけが、なんだか意識してしまってる。
「やだよー、俺を見捨てるのかよー」
「俺は授業ちゃんと聞いてたし」
少し視線を上に上げれば、颯見くんの襟元から延びた首と、ハッキリ存在感のある喉仏。女子とは違う、ゴツゴツした喉元。
「くっそー、俺も彼女ほしいー!」
「ははっ、急だな」
笑うたびに、動いてる。
「いいよなぁー、今度教えろよー?」
「何をだよ」
その首筋を上っていくと、形の良い、口が、唇が、柔らかそうに――。
「そんなの決まってんじゃん。キスとかその先の――」
「ばっ、するわけねーだろ!」
鼓膜に轟いた颯見くんの声に、パッと不埒な思考が途切れた。
シン、と沈黙が教室を覆う。
一瞬の間を置いて、ドクドクと脈が押し寄せ始める。
私、今、何を考えてたんだろう。
目に映っているのは、颯見くんの薄く開いた唇。
キス。倖子ちゃんに言われてから、もうそのことばかり意識して。
自分の思考回路が恥ずかしくなって、慌てて颯見くんの唇から視線を逸らした。
なんて不埒なことを考えているんだろう。
そう思った時、隣から颯見くんの小さな息遣いが聞こえた。
「俺は簡単にキスとかそういうことしたくねーから」
颯見くんのいつもより低い声が、ひどく脳を揺り動かした。ドンと重石が乗ったみたいに頭が重くなって、動かない。
颯見くんの言葉が、もう一度脳内で反響した。
徐々に動き出した思考が、その言葉の意味を反芻する。
倖子ちゃんが、言っていた。
――絶対、颯見の方が、雫にキスしたくてたまんないとか思ってるよ!
それを私は真に受けて、期待なんかして。恥ずかしい。
「えー、俺だったらキスしまくるけどな」
「は!? 誰に!?」
「おっと落ち着け颯見。俺の未来の彼女にだよ」
「あー……頑張れ」
「え、全然俺のこと興味ないじゃん。好きな女子いるのかとか聞かないの?」
「……好きな女子いるのか?」
「今はいない」
「…………。じゃあ先生に吉田の補習みっちりやってもらうよう伝えとくなー」
「え、おい!」
颯見くんと吉田くんの会話が頭上で流れていく。
「じゃあな吉田! 補習頑張れよ」
「ちょっと待てよー薄情者ー」
オイオイと泣き真似をしながら手を振る吉田くんに見送られて、颯見くんと一緒に教室を出た。
いつもと同じように、颯見くんの隣に並んで廊下を歩く。
頭が重い。ショック、だった。
ショック、なんて、厚かましい。これ以上何を求めるの。
私の隣には、颯見くんがいる。ずっと片思いだったのに、今、颯見くんも私を好いてくれていて、隣を歩いてくれている。
それなのに、もうそれだけじゃ足りないとでも思ってるのかな。
こんなに奇跡みたいな今の状況で、これ以上を求めるなんて、私はどれほど厚かましくなってるんだろう。どれほど傲慢になってるんだろう。
こんな傲慢なことばかり考えていたら、そのうち颯見くんにも呆れられてしまって、この幸せすら失ってしまうかもしれない。
ちゃんとわきまえなきゃ。
教室に入ると、まだクラスの半数ぐらいが残っていて、ガヤガヤと楽しそうにお喋りを繰り広げている。
体育祭前は部活がないから、いつもとは違う特別感で、みんな浮き立っているみたいだった。
こういう空気は、少し好き。
そんななかで、ひときわ賑やかな男子の集団に目がいく。男子に囲まれて、楽しそうに笑う颯見くん。
「あ! おかえり!」
パチっと視線が繋がって、ドキッと心臓が跳ねた。
さっきまで倖子ちゃんと話していたことが、また蘇る。
私、さっきまで、颯見くんとキスするところ、勝手に想像してしまってたんだ。
急に顔が見れなくなって俯くと、隣からクスッと倖子ちゃんの短い笑い声。
「雫、頑張れ! いい報告待ってるね!」
ポンポンと肩を叩かれて顔を上げると、倖子ちゃんは楽しそうに席に戻っていった。
「哀咲、」
ふと気付いたら隣に準備を済ませた颯見くんが立っていて、柔らかい笑顔が落ちてきた。
「帰ろ」
優しい声に、火照ったままの頬を隠すように頷いて、帰る用意を始める。
颯見くんの視線が私に向いていることがわかるから、なんだか緊張してしまう。
今はそれだけの理由じゃないけれど。
荷物を詰めた鞄を持って振り向くと、思ったよりも至近距離に颯見くんが立っていて、ハッと息を吐いた。
「颯見ぃ、俺を置いて先に帰るのかー」
「ドンマイ吉田、頑張れ居残り補習!」
颯見くんの制服の白シャツが、笑い声に合わせて動く。
颯見くんはいつも通りなのに、私だけが、なんだか意識してしまってる。
「やだよー、俺を見捨てるのかよー」
「俺は授業ちゃんと聞いてたし」
少し視線を上に上げれば、颯見くんの襟元から延びた首と、ハッキリ存在感のある喉仏。女子とは違う、ゴツゴツした喉元。
「くっそー、俺も彼女ほしいー!」
「ははっ、急だな」
笑うたびに、動いてる。
「いいよなぁー、今度教えろよー?」
「何をだよ」
その首筋を上っていくと、形の良い、口が、唇が、柔らかそうに――。
「そんなの決まってんじゃん。キスとかその先の――」
「ばっ、するわけねーだろ!」
鼓膜に轟いた颯見くんの声に、パッと不埒な思考が途切れた。
シン、と沈黙が教室を覆う。
一瞬の間を置いて、ドクドクと脈が押し寄せ始める。
私、今、何を考えてたんだろう。
目に映っているのは、颯見くんの薄く開いた唇。
キス。倖子ちゃんに言われてから、もうそのことばかり意識して。
自分の思考回路が恥ずかしくなって、慌てて颯見くんの唇から視線を逸らした。
なんて不埒なことを考えているんだろう。
そう思った時、隣から颯見くんの小さな息遣いが聞こえた。
「俺は簡単にキスとかそういうことしたくねーから」
颯見くんのいつもより低い声が、ひどく脳を揺り動かした。ドンと重石が乗ったみたいに頭が重くなって、動かない。
颯見くんの言葉が、もう一度脳内で反響した。
徐々に動き出した思考が、その言葉の意味を反芻する。
倖子ちゃんが、言っていた。
――絶対、颯見の方が、雫にキスしたくてたまんないとか思ってるよ!
それを私は真に受けて、期待なんかして。恥ずかしい。
「えー、俺だったらキスしまくるけどな」
「は!? 誰に!?」
「おっと落ち着け颯見。俺の未来の彼女にだよ」
「あー……頑張れ」
「え、全然俺のこと興味ないじゃん。好きな女子いるのかとか聞かないの?」
「……好きな女子いるのか?」
「今はいない」
「…………。じゃあ先生に吉田の補習みっちりやってもらうよう伝えとくなー」
「え、おい!」
颯見くんと吉田くんの会話が頭上で流れていく。
「じゃあな吉田! 補習頑張れよ」
「ちょっと待てよー薄情者ー」
オイオイと泣き真似をしながら手を振る吉田くんに見送られて、颯見くんと一緒に教室を出た。
いつもと同じように、颯見くんの隣に並んで廊下を歩く。
頭が重い。ショック、だった。
ショック、なんて、厚かましい。これ以上何を求めるの。
私の隣には、颯見くんがいる。ずっと片思いだったのに、今、颯見くんも私を好いてくれていて、隣を歩いてくれている。
それなのに、もうそれだけじゃ足りないとでも思ってるのかな。
こんなに奇跡みたいな今の状況で、これ以上を求めるなんて、私はどれほど厚かましくなってるんだろう。どれほど傲慢になってるんだろう。
こんな傲慢なことばかり考えていたら、そのうち颯見くんにも呆れられてしまって、この幸せすら失ってしまうかもしれない。
ちゃんとわきまえなきゃ。
