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「颯見ー、今日も哀咲さん待ってんの?」

「うん。行ってくる!」

 部活後。
 俺は、吉田の「熱いねぇ」なんて声を背中に受けながら、靴箱へ走った。

 向かう先は、教材室。急いで上靴に履き替えて、校舎内を走る。

 早く、哀咲に会いたい。

 夏休みでもパラパラと人通りのある階段を駆け上がって、一年の教室が並ぶ廊下を走る。
 隣り合わせに並んでいた教室が途絶え、長い廊下の終わりが見えてくる。

 並んだ教室から少し離れた一番奥に位置する教室――教材室が見えて、足の速度を落とした。

 この中で、哀咲が俺を待っている。
 たどり着いた教材室のドアの前で立ち止まって、息を整えた。

 こめかみから頬へと伝う汗を、手に持っていたタオルで拭う。
 ドアに手をかけると、少しだけ、緊張の糸が張った。

 ――ガラガラ
 開けた瞬間に、風が抜けて滲み出ていた汗を拭い去る。

「お待た、せ……」

 (はな)った声は、目に映る光景を認識したと同時に、音量を下げた。

 窓際の席に座る哀咲。机に広げたままの問題集の上に、腕を枕にして頭を預けている。顔は窓の方を向いていて、ここからは見えない。
 だけど、反応がないってことは、寝てる、んだよな。

 俺は、中に入って、音を立てないようにドアを閉めた。

 ゆっくりと、哀咲の座る窓際へ足を進める。

 静かな教室。秒針の音がやけに耳に響く。
 哀咲の座る席の前まで来て、音を立てないように、前の席の椅子を引いた。

 背もたれを前にして跨って、窓を向く哀咲の顔をそっと覗き込む。

 閉じた瞼。薄く開いた口から漏れる吐息。

 ああ、やっぱり。俺は、目が離せなくなる。
 耳の奥でドクドク打ち付ける心臓が痛くて苦しい。

 しなやかに垂れる前髪が、窓からの風でサラリと揺れて、白い額が露わになった。
 透き通って消えてしまいそうな白い肌に、ぎゅっと掴まれた心臓が痛くて、思わず手を延ばす。

 そっと、その額に指を触れると、哀咲の温かい温度が伝わってきた。

「……好きだ」

 思わず口から出た言葉に、急に恥ずかしくなって、サッと指を離した。

 何、してるんだ、俺。

 思わず自分の髪に手を当てる。
 ドクドクと鼓動が煩い。顔が、火を噴くぐらい熱い。

『嵐は照れたり恥ずかしい時、そうやって髪に手を当てるよね』

 だいぶ昔に鈴葉に言われた言葉を思い出した。

 そりゃあ、照れるよ。恥ずかしいよ。

 髪に当てた手を下ろして哀咲の顔を見ると、哀咲が起きる様子はなくて、安心した。

 こうしてると、片想いの時と何も変わらなくて、この子が俺の彼女だなんて、ただの妄想なんじゃないかと思えてくる。
 哀咲は、俺がこんな風に哀咲の顔眺めたり、心臓バクバク言わせてること、知らないんだろうな。

 出会った時は、哀咲は俺の存在なんて知らなくて、俺だけが哀咲を見てたのに。いつの間にか哀咲も俺のことを見てくれるようになっていた、なんて。
 本当にこれは現実なのかって思うぐらい、奇跡みたいなことだ。

 机の上を無造作にたゆんで広がる長い三つ編みを、そっと撫でる。

 大切にしたい。哀咲のこと。絶対大切にしたい。