消極的に一直線。【完】

第22章 すべての始まり


 中二の冬、一人の女の子に出逢った。
 出逢ったと言うよりは、見かけたという方が正しいかもしれない。

 それが俺――颯見嵐の何かの始まりだった。



 暗い空に、踊り狂う吹雪。夕方までは雪一つチラつかない晴れ渡る寒空だったのに。
 始めは小降りだった雪が、だんだんと激しさを増して、今ではこんなに大荒れ。

 ネックウォーマーに顎を沈めて、積もった雪に足跡を落としながら歩く。

 左手に持った広げた傘で向かい風を受けながら、右手に持った閉じたままの傘を鈴葉に届けるため、鈴葉の通う塾に向かっている。

 しばらく歩くと、前方に一階建てのシンプルな建物が見えてきた。
 『光和義塾』とでっかい看板。あれが鈴葉の通う塾だ。やっと着いた。

 早足で近付いて、大きな窓を覗き込んだ。見えたのは学校の教室みたいな部屋。学校のものより上等な机と椅子に、様々な制服を着た塾の生徒たちが座っている。
 そのちょうど真ん中あたりの席に鈴葉の姿を見つけた。

 ホワイトボードの前に立っていた先生らしき人が教室から出て行って、生徒たちも席から立ち上がる。ちょうど授業が終わったところみたいだ。

 帰る用意を始める生徒たちの表情は開放感に溢れていて、声は聞こえないけど教室が賑やかなのが伝わってくる。

 鈴葉もすぐ出てくるだろうと思って待っていると、鞄に本を詰める鈴葉の席に、ガラの悪そうな男子集団が集まってきた。

 鈴葉に何かを話しかける男子集団。貼り付けたように困った笑顔を向ける鈴葉。

 あー、もしかしてまたナンパか。
 鈴葉はよく男子に声をかけられる。幼なじみの俺から見ても、鈴葉は整った顔立ちで、人懐っこさも表情に滲み出ているから、声をかけやすいんだろうと思う。

 ナンパされ慣れてる鈴葉は、普段なら自分で断って何とかする。
 けど、今回みたいに集団で来られると、そうも上手く断れないらしい。

 助けに行くしかなさそうな状況を察して、中に入ることにした。

「このまま俺らとカラオケ行かない?」
「天気も荒れてるしさ、一人で帰るの危ないよ?」

 中に入って教室の前まで来ると、ナンパの声が聞こえてくる。

 早く助けに行こうと思って教室に踏み入れた足。が、その場に留まった。

 目に映った光景。
 ガラの悪い男子集団に近寄って、トントンとその男子の肩を叩く、一人の女子。

 可哀想なほど震えている彼女を、吸い寄せられるように見つめた。

 隣町の中学の制服。揺れる長いおさげ。雪のように白い肌。振り返った男子を見上げる、意思のこもった色素の薄い綺麗な瞳。
 小さく震える華奢な体は、儚げなのに、凛と立ってその場を動かない。

 目が、離せない。

 彼女は、男子集団の視線を浴びながら、何かを言いたげに口を小さく開けて呼吸を繰り返している。

「なんだこいつ」
「変なやつ」
「行こーぜ」

 鈴葉を囲んでいた男子集団が散った。

「シズクちゃん、助けてくれてありがとう」

 鈴葉が彼女に笑顔を向ける。

 シズク、っていうのか。綺麗な名前だな。
 そう思った瞬間。

「よかっ、た」

 鈴を震わすような声が聞こえて。俺の中の何かが音を立てた。

 中二の二月の出来事だった。


 その日から、シズクと呼ばれる女子のことが気になって、俺は毎日鈴葉の塾の送り迎えをするようになった。

 彼女は、不思議だ。
 その姿を目にするだけで、俺の中の何かが動く。

 会いたい。会いたい。今日も会いたい。近付きたい。話してみたい。一度でいいから、その瞳に俺を映したい。

 彼女は俺の存在を知らない。
 彼女の知り合いである鈴葉といれば、もしかしたら彼女と話す機会が訪れるんじゃないかって。そんな、今まで一度も実現したことのない夢を描いている。

「なぁ、今日は僕が鈴葉の塾迎えに行くよ。これからは交代で送り迎え行こう」

 一年ほどが経ったある日、カズがそんなことを言った。

「え」

 ベッドに寝そべって読んでいた漫画を落としそうになる。

 カズは、俺の部屋の折り畳み式のテーブルに頬杖をついて、「ね?」と視線を送ってきた。

 待て待て待て、どうして急に? 交代になんかしたら、彼女に会える頻度が半分になってしまう。

「いや、いい」

 そう言うと、カズは不服そうに、その整った顔を歪ませた。

 何だよ、何が不服なんだよ。あー、そうか、鈴葉が心配なんだな。カズは、鈴葉のことになると異常に心配性だから。

「俺が守るから安心しろ」

 そう言うと、ますます顔を歪めたカズ。

「けど嵐、僕だって……」

 なんだか引き下がりそうにない。
 だけど俺も引き下がれない。

 ただでさえ、もう中三の冬。中学を卒業したら鈴葉は塾に通わなくなるし、彼女もたぶん通わなくなるだろう。
 そうなったら、どこで会えるかもわからなくなって、「どこかでバッタリ出会えますように」なんて天命に祈るしかなくなるんだ。

 もうあと何回会えるのか、カウントダウンが始まっているというのに、そんな貴重な時間を。

「カズには譲らねーよ」

 絶対に、譲りたくない。

 カズは俺の言葉を聞いて、目を見開いた後「そっか」と納得した。

 そうして勝ち取った鈴葉の送り迎えの権利――つまり、シズクという名の女子に会える権利を、俺はただの一度もその先へと進む何かに繋げることもできないまま。

 俺たちは、中学を卒業した。