第21章 それぞれの本音


~融解(倖子side) ~


「雫ちゃん、急に話って……どうしたの?」

「あの、鈴葉ちゃんに、謝らなきゃいけないことが、あって」

 あたしは今、校舎の陰で身を潜めながら、中庭で話す中雅鈴葉と雫の会話を聞いている。

 これは、故意ではなくて偶然で。

 夏休みの補習授業の帰り、補習に来なくてもいいはずの雫の姿が見えて、声をかけようと中庭に出たら、こんな現場に居合わせてしまった。

「鈴葉ちゃん、ごめんなさい」

「え、何? どうしたの?」

 頭を下げる雫をチラリと盗み見ながら、まさか、颯見と付き合うことになってごめんなさい、とか言う気じゃないだろうかとヒヤッとする。

「私、その、すごく、すごく、嫌な人間で、」

「ん? そんなことないと思うよ?」

「ううん、違う。あのね、私、」

 そこまでいって、会話が止まる。
 少し不安になって、また様子を覗き見ると、雫が泣いていた。

「え! 雫ちゃん、どうしたの?」

 中雅鈴葉が戸惑いながら、雫の手を握ってる。

「ごめ、なさい」

 震える雫の声は、あたしの心まで切なく抉った。

「ほん、とは、泣いたら、ずるい、のに」

 飛んでいってすぐにでも抱きしめてあたしが話を聞いてあげたいけど、何かを一生懸命に伝えようとしている雫を邪魔したくはない。

「あの、ね、私、」

「うん、なーに?」

「颯見くんと鈴葉ちゃん、が仲良いの、見て、嫌なこと、思ってしまったの」

 そう言った雫が、また頭を下げたのを見て、あたしはまた心臓を締め付けられた。

「鈴葉ちゃんの、こと、大好き、なのに、ごめん、なさい」

 思えば雫は、颯見と中雅鈴葉のことを考えた時、いつも辛そうな苦しそうな顔をしていた。

 あれは純粋に嫉妬や自分の想いが叶わない苦しさだけじゃなくて、そういう罪悪感と葛藤して苦しかったんだろうな。

 ほんと、雫らしい。こういうこと馬鹿正直に本人に謝っちゃうところも。

「雫ちゃん、お願い、顔を上げて」

 だけどそういえば中雅鈴葉も、何かよくわからないことで馬鹿正直に雫に謝ったんだっけ。

「雫ちゃん、そんなこと、みんな当たり前だよ。私もこの前似たようなことで雫ちゃんに謝った。お互い様だよ」

「でも、」

「私はそんなことより、雫ちゃんが気後れせずに嵐と上手くいってくれる方が嬉しい」

「鈴葉、ちゃん、」

「付き合えてよかったね! てか私、雫ちゃんは真内くんのことが好きだってずっと勘違いしてたの」

「え!」

「嵐片想いで可哀想だなとか思ってた。でも、今はこうなって、私も嬉しい! 心から嬉しいの」

「鈴葉ちゃん……ありがとう」

「あ、ほらもう嵐の部活終わるよ!」

「え、でも、まだ、」

「いいからほら。私も用事で先生に呼ばれてるから行かなくちゃ」

「そっか……じゃあ……あの、またね」

 二人の会話を聞きながら、あたしはグラウンドの方へ向かうだろう雫にバレないように、身を屈めた。

 パタパタと走っていく音が通り過ぎた後に、そっとまた中庭を覗き見る。

 中雅鈴葉が、一人でベンチに座ったまま空を見上げていた。

 あたしは、校舎の陰から身を出して、中雅鈴葉に近付いた。

「ねぇ」

 声をかけると、はっと肩を揺らして中雅鈴葉が振り向いた。
 その顔を見たら、どうやら、泣いてはなかったみたいだ。

 どうせさっき雫に言ってた、先生に呼ばれてるっていうのも嘘なんだろう。

「隣、座るよ」

 そう言うと、中雅鈴葉は「どうぞ」と笑った。

 ベンチによいしょ、と腰を落とすと、夏真っ盛りの太陽が、ジリジリと肌を痛めつけてくる。

「あんたさ、雫に言わなくて良かったの?」

「え?」

 突然のあたしの言葉に、キョトンと可愛らしくあたしを見る。

 あーなんか、可愛いのってムカつく。

「颯見のことが好きだった、って」

 そう言うと、中雅鈴葉は少し目を見開いた後に、ふふ、と笑った。

「やっぱり、寺泉さんは優しいね」

「は?」

 全く答えにならないことを言われて、眉間にシワが寄る。

 だけど中雅鈴葉はそんなの御構い無しで話を続けた。

「カズはいっつも、寺泉さんが私を虐めてるとか言ってたけどね、私はそんな風に思ったことないよ」

「はぁ」

 いや、あたしはそんな話はしてないんだけど。
 ってか何、朝羽ってあたしのことそんな風に言ってたわけ?
 まぁどうでもいいけど。

「寺泉さんが私にあんな態度とる理由も知ってるよ」

「は?」

「関谷くん、でしょ?」

 その名前を聞いた瞬間に、心臓が跳ねて、思わず中雅鈴葉を睨み付けた。

 関谷。それはあたしの元カレの名前。中二から付き合って、高校入学後数日で、中雅鈴葉を好きになってあたしをフッた元カレだ。

「関谷くんから告白されて、その後で寺泉さんのことも知ったの。もちろん気持ちには応えられないって断ったんだけど」

 にこやかにそんな話をする中雅鈴葉は、あたしに喧嘩でも売ってるんだろうか。

「私ね、こういうこと結構あるんだよ」

「なにそれ自慢?」

「ううん。寺泉さんみたいに、恋愛のことで恨みを持たれること。よくあるの」

「……へー」

「そういう人は陰で、嫌がらせする。自分だとバレないように。私のそばにいるカズや嵐に見つからないように」

 中雅鈴葉はどうしてこんなことを、笑って話してるんだろうか。

「だけど、寺泉さんは逆だったでしょ」

「は?」

「寺泉さんは、周りに人がいる時にしかあんな態度とらないし、陰では何もしないし、私と二人の時はこんなに優しい」

「は? いつあたしがあんたに優しくした?」

「今!」

 ふわりと笑った中雅鈴葉。

 きっとあたしが男だったらこの笑顔に悩殺されてるんだろうなと思う。
 関谷の気持ちもわからなくはないかな、なんて、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、納得した。

「私ね、嵐のこと好きだったよ」

 いきなり話の飛んだ中雅鈴葉に、ぎょ、と目を向けると、またニコッと返される。

「嵐がずっと雫ちゃんを好きだったことも知ってたし、私はそれを知った上で嵐に告白してフラれた」

「は? 気付いてたんなら言ってよね! 雫すっごい苦しんだんだから」

「あ、えっと……ごめんね。私、雫ちゃんは真内くんが好きなんだと思ってたから……」

 なるほど、それで一時期よく真内に絡みに来てたわけか。

「あとは、私も嵐を取られたくなかったのかも。性格悪いね」

「……うん、まぁそんなもんでしょ」

「だけど、告白してフラれたら、気持ちスッキリした」

「ふーん」

「まだ好きかと聞かれれば、好きなんだろうけど……」

「でしょーね」

「だけど、雫ちゃんと嵐が付き合うことになって、すごく嬉しい気持ちもほんとなの」

 そう言って中雅鈴葉は、また空を見上げた。

 あー、この子ってちょっと雫に似てるなぁ、なんてふと思う。

「あんたさ、朝羽とかどうなの?」

「え? カズ?」

「颯見よりも朝羽の方があんたには似合うよ」

 そう言うと中雅鈴葉は、ふふ、と笑った。

「カズのことそんな風に考えたことなかった」

「まぁ、そのうち考えてみたら?」

「ふふ、何それ。それでカズ好きになっちゃったら、また私失恋しちゃうよ」

 そう言って笑った中雅鈴葉は、朝羽の気持ちに全然気付いてないんだな。
 朝羽も不憫。いい気味だ。あたしのこと散々に言っといて。

「私、寺泉さんのこと、好きだなー」

 中雅鈴葉がいきなり突拍子もないことを言い出したから、あたしはまた「は?」と声をあげた。

「あ、もちろん恋愛感情じゃないよ」

「当たり前でしょ!」

「ふふ、それより寺泉さんは今好きな人いないの?」

「あんたって結構話の脈絡飛ばすよね」

「まぁまぁいいから。好きな人は?」

「いないよ、最近彼氏と別れたし」

「え、それって関谷くん?」

「違うよ。その後付き合った人。浮気されてフッた」

「え、そうなんだ……」

「いや、あたしその人のこと好きじゃなかったんだよね」

「どういうこと?」

 中雅鈴葉と話しながら思い出した。彼氏と別れた時のこと。

 彼氏が浮気してることを知った。だけど、悲しいとか悔しいとか嫉妬とか湧かなかった。

 ちょうどその日は雫が風邪で学校を休んでて、お見舞いの電話を掛けた時に、訊いてみた。

 ――颯見が他の誰かのものになったら、どうする?

 答えは返ってこなかったけど、雫が動揺して自分の中の嫉妬や何かと格闘しているのは、電話越しでも手に取るようにわかった。

 好きなら、そうなるのが普通。

 本当はそんなことしなくても、もうだいぶ前から気付いていたんだと思う。
 あたしは、彼氏のことが好きじゃない。

 別れよう、と潔く彼氏に電話して、向こうもアッサリ受け入れてくれて終わり。ほんとに薄っぺらい関係だった。

「浮気されて、好きじゃないことに気づいたって感じ」

「そうなんだ」

「あーあ。あたしも雫みたいな一生懸命な恋、してみたいなぁ」

「寺泉さんならできるよ。まだそういう相手に巡り合ってないだけ」

「慰めどーも。需要があれば、あたしもあんたを慰めてあげるけど」

「うん。じゃあまた、こうやって話してくれる?」

 そう言われるとは思ってなくて、一瞬、言葉に詰まった。

 中雅鈴葉は、相変わらずふわっとあたしに笑顔を向けている。この向けられる笑顔も、なんだか悪い気はしなくなっていた。

「……好きにしたら」

「ほんとに? 嬉しい!」

「あ、でも、雫と颯見を仲違いさせるような協力とかは一切受け付けないからね」

「もちろん! そんなことしないよ。だって、」

 中雅鈴葉は、また空を見上げた。少しだけ遠くを見つめる横顔が切なく揺れる。

「雫ちゃんだけだもん。嵐をあんな風にするの」

 敵わないよ、と続けた。

「ずっと一緒にいたのに、嵐があんな顔するなんて、知らなかったなぁ」

 今この子は、颯見のどんな顔を思い出しているんだろうか。どんな気持ちで言ってるんだろうか。

 誰もが、颯見は中雅鈴葉が好きだと思って疑わなかった。

 どんなに颯見が雫にそんな素振りを見せても。中雅鈴葉という存在がいる限り、それは揺るぎないもので。雫の近くにいたあたしすら、気付かなかった。

 それを、当の中雅鈴葉だけは、ずっと気付いていたんだ。一番近くで、ずっと。誰も気付かなかったのに。

 この子は、ちゃんと颯見を見ていた。本当に好きだったんだ。

「あんたが颯見を好きだったことも、その上で雫と颯見の幸せを喜んでることも、」

「うん?」

「あたしが全部、雫の分まで、ちゃんと知っておくから」

 そう言うと、中雅鈴葉は一瞬目を見開いて、また、ふふ、と笑った。

「やっぱり寺泉さんは優しいね」

「……どーも」

 空は高く、日照りは痛く、蝉は煩い、夏の日。
 あたしと中雅鈴葉は、少しだけ笑い合った。


~倖子side end~