「颯見くん」

 吐き出した声は、いつもよりハッキリと響いた。
 颯見くんが、「ん?」と首を傾ける。

 二人だけの保健室。
 鼓動と時計の音が、混ざり合って耳に響く。

「聞いて、ほしいことが、あります」

 急に、緊張の糸が張り詰めて、声が震えた。

「……うん。何でも言って」

 それなのに、目の前にいる颯見くんは、すごく優しい声で、すごく優しい目で。
 張り詰めた空気と優しい視線が混ざり合って、目眩がする。

「わ、わた、し、」

 ドクドクと打ち付ける鼓動の音が、全身を支配していて、浅く息を吸うのが精一杯。心臓が震えて、痛い。

 だけど、どうしても、溢れてくる。
 震える手を、震えるもう片方の手でぎゅっと握った。

「す、」

 言葉に出そうとしたら、急に喉の奥が詰まって、息が苦しくなった。
 
 やっとの思いで浅い息を吐き出すと、喉に詰まったものが鼻に来て、ツンと奥が痛む。
 目の奥から、じわっと熱いものが滲んでくる。

「哀咲?」

 颯見くんが、心配そうに私の名前を呼んだ。

「す、き、」

 私の中にある重たくて大きい想いが、やっと吐き出された。
 その途端に、目から滲んでいた熱いものが溢れていく。

 胸が痛い。息が苦しい。熱い。恥ずかしい。
 いろんなものがごちゃ混ぜになって、止まらない。


「颯見、くんが、好き」


 颯見くんの表情は、涙で歪んで、よく見えない。

 何も言わない颯見くんは、たぶん、今、困ってる。受けとめられない告白を、泣きながらされて、きっとスパッと断れなくて、困ってる。
 あんなに釘を刺したのに、って思ってるかもしれない。

 違う、私は、答えが欲しかったわけじゃない。

「颯見くんが、鈴葉ちゃんを、どれだけ、好きか、知ってる」

「え?」

「それ、でも、私の気持ちは、変わらない、から」

 息が苦しい。涙が止まらない。

 歪んだ視界で、颯見くんが立ち上がったのがわかった。

 呆れて行ってしまう?
 その前に、最後まで、言いたい。

「好きな気持ちを、辞めることだけは、できな――」

 言い終わる前に、ガサ、と何かに包まれて、視界が暗くなった。

 鼻から鮮明に香る、颯見くんの爽やかな匂い。後頭部に感じる、力強くて温かい腕の温度。
 顔に押し当てられたシャツ越しに、颯見くんの熱い体温が伝わってくる。

 今、何が、起こっているんだろう。

 息苦しくなって顔を動かすと、そっと力強い腕から解放された。

 涙が乾いてクリアになった視界に、颯見くんの制服のシャツが映る。

 顔を上げると、颯見くんがその黒髪に片手を当てて、表情が半分見えなくなった。

 あれ、何だったんだろう、今のは。
 颯見くんに、抱きしめられてた気がする。
 どういうことだろう。

 期待していいの?
 いや、違う。そんなわけない。
 でも、じゃあ何のために?

 飛び散ってまとまらない思考を追いかけ回していると、颯見くんが髪に当てていた手を下ろした。

 視線が繋がって、トクン、と心臓が揺れる。

「哀咲」

 柔らかい声が落ちて来て、スッと延びた手が、ふわ、と私の髪を撫でた。

「え、」

 思わず漏れた声。

 颯見くんの顔が、ほんのりと赤みを帯びてるように見える。

「昨日、されてただろ、真内に」

 颯見くんの手が、髪を伝って、頬に触れた。
 顔に熱がのぼっていくのがわかる。

 何だろう、これは。

 心臓が、脈を打ち付けて、痛いくらいに暴れてる。

「あれすげームカついた」

 颯見くんの指が、優しく涙を拭った。
 そっと、その手が離れていく。

 顔が熱い。思考が働かない。

「つーかなんで俺が鈴葉を好きなことになってんの?」

 颯見くんが、少しだけ怒って拗ねたように眉を寄せた。

「俺、ちゃんと言ったじゃん」

 颯見くんの言葉に、胸の奥で何かが騒ぎだした。
 もしかして、って、期待がムクムクと顔を出してくる。

「俺は、」

 颯見くんの言葉の途中。ガラガラ、と保健室にドアの音が響いた。

 反射的に颯見くんがドアを振り返る。

「しずくー」

 入ってきたのは、倖子ちゃん。

「大丈夫?」

 訊かれて慌てて頷くと、その後ろから、ぞろぞろとクラスの人達が続いて入ってきた。

「哀咲さん大丈夫?」
「貧血?」
「急に倒れたからビックリしちゃった」
「気分どう?」

 二人だけの空間だった保健室は、一気に人で埋まっていく。

 みんな、心配してくれていたんだ。
 すごく嬉しいのに、さっきまでの二人の空間が名残惜しいような、不思議な気持ち。

「颯見ずりーよ、式サボり」
「てか先生いないじゃん」
「じゃあ二人きり?」
「おいおい、襲ったりしてねーよなー」

 クラスの男子も入ってきて、颯見くんに腕を回したり頭をグシャグシャと押さえたりしてる。

「逆に告られてたりして」

 そんな言葉が耳に入って、思い切り心臓が飛び上がった。

 勢いよく、ベッドから立ち上がる。

「哀咲さん、もう大丈夫なの?」

 顔が熱い。

 私、颯見くんに告白してしまったんだった。

 急に、熱を持った恥ずかしさがこみ上げてくる。

「雫?」

 倖子ちゃんに顔を覗き込まれて、反射的に手で顔を覆う。

 見られたくない。今、私の顔はたぶん真っ赤だ。

 そのまま、群がるクラスメートの中を前に進む。

「え、ちょっと雫、どうしたの?」

 グイッと腕を引かれて、顔を隠していた手が外れた。
 私の顔を見た倖子ちゃんの目が、大きく見開いた。

「雫、もしかして泣いてた?」

 言われて、はっと顔を俯ける。
 そうだ、少し前に泣いてしまっていたから。

「え、なになに、哀咲さん泣いてるって」

 一人の男子が、おちょくるように言った。

「おい颯見が泣かせたのかー?」
「告られてフッたんじゃねーの」

 冗談ぽくそんな言葉を吐く男子達の声に、慌てて顔を上げた。

 違う、颯見くんは泣かせてない。私が勝手に泣いただけ。

「ちょっと男子やめなよ」
「悪ふざけが過ぎるよ!」

 女子達が、男子達に対抗して、私を庇ってくれてる。

 私の腕を掴んでいた倖子ちゃんが、「ごめん、あたしのせい」と呟いて手を離した。

 颯見くんに群がる男子達に、ズンズン向かっていく倖子ちゃん。

「ちょっとあんたら、雫に――」

「俺が告ったんだよ!」

 倖子ちゃんの言葉を遮って、颯見くんの声が響き渡った。

 喧騒が止まって、シン、と静まる保健室。
 カチ、カチ、と秒針だけは、変わりなく音を刻む。開いているドアから、廊下の賑やかな声や足音が聞こえてくる。
 誰かが、ごく、と息を呑む音が聞こえた。

「俺が、哀咲に告った」

 颯見くんの視線が真っ直ぐ私に向かってきて、ドクン、と心臓が動いた。

「つーか、告ろうとしてたとこだったんだよ」

 そう力なく言って、颯見くんはポスッとベッドに腰を下ろした。

「え、何かの冗談?」

 一人の男子が呟く。

「ちげーよ、俺、哀咲に告るの二回目だし」

 自分の脈の音が遠くに聞こえる。

「マジかよ、え、マジなのかよ」
「二回目? 一回フラれてんの?」
「それってちょーマジじゃん」

 思考がまっさらになってしまって、必死に働かせているのに、何も考えられない。


「うん。俺、哀咲のことすげー好きだよ」

 ドクン、と心臓が跳ねた。


 何だろう。脈が、煩い。
 何が起こってる? 何を言われてる?
 思考がついていかない。何か、幻想のようなものが見えているのかもしれない。

 働かない頭に手を当てて、おぼつかない足を動かした。

「雫?」

 倖子ちゃんの声に背を向けて、保健室の開いたドアから、外へ出た。