保健室の前まで来ると、私がドアに手を延ばす前に、颯見くんがそれに手をかけた。
「せんせー、すみませーん」
ドアを開けて中に入っていく颯見くんに続いて、私も中へ入る。
中に入って左を向けば、すぐ視界に入る、先生の机と椅子。だけど、いつも座っているその椅子に先生の姿はなくて、辺りを見回した。
「留守、か」
独り言のように呟いた颯見くんが、ガラガラ、とドアを閉めた。
保健室の中。ドアを背にして、距離を空けたまま並んで立ち尽くす私と颯見くん。
息をするのもためらわれるような、気まずい空気が漂う。
「哀咲、」
隣から不意に名前を呼ばれて、心臓が高鳴った。
「大丈、夫?」
気まずさの中に感じる優しい声色に、また勘違いをしてしまうんじゃないかというぐらい、鼓動が跳ねる。
「今日、だけは、ごめんな。でも、心配だから」
少し歯切れの悪い声が優しく響いて、俯いたままの私の額に、スッと手が当たった。
ハッとして思わず顔を上げると、手の温度を感じる前に、またスッと離れるそれ。
一瞬の出来事だったのに、脈はこれでもかというぐらい主張を始める。
「熱は、ない、かな。あんまわかんねーな」
はは、と笑いかける颯見くんに、湧き出てきそうになる想いを必死に抑え込みながら、頷いた。
「けど、やっぱり顔色は良くない。こっち来て」
一番近いベッドに近付いて、掛け布団をサッと半分めくった颯見くん。
優しく笑って手招きされて、誘われるままにベッドへ向かう。
必死に抑え込んでいるのに、それを押しのけて出てこようとする気持ちが、もう無視できないぐらい、鼓動がうるさい。
「はい、寝て」
まるで小さな子どもを誘導するみたいに、颯見くんが優しくベッドの上をポンポンと叩いた。
高鳴る鼓動を耳で聞きながら、ベッドの脇に腰を落として、上靴を脱ぐ。脚をベッドの上にあげて、ゆっくり上半身をベッドにつけた。
「俺は何もしねーから、安心して寝て」
そう優しく笑って、めくった掛け布団をそっと掛けられた。
ベッドから離れて、先生の椅子にポスッと座る颯見くん。机に置かれたペン立てから手慣れた手つきでペンを取り、机の記録用紙にそれを滑らせていく。
颯見くんの姿を視界の端で捉えながら、ドクン、ドクン、と煩く鳴る鼓動を聞く。
だめだ。だめだ。
勝手にたかぶってしまう気持ちが虚しくて、ぎゅっと目を閉じた。
もう、好きでいることを辞めなきゃいけないのに、まだこれ以上好きになろうとしてる。颯見くんは鈴葉ちゃんが好きなんだと、本人から釘を刺されたばかりなのに。
私はまだ懲りないのかな。好きな人を好きでいるのを辞めるって、どうやったらできるんだろう。
颯見くんが近くにいても、もう何も感じない体にしてほしい。
ドクン、ドクン、と心臓の音が、いやでも私の耳を支配して、好き、好き、って訴えかけてくる。
もう止められそうにもないこの気持ちを、私はどこへやったらいいんだろう。颯見くんを困らせたくなんかないのに。
鼻の奥がツンと痛くなって、じゅわ、と滲み出そうになるものを目の奥でとどめた。
よかった。今、目を瞑っていなかったら、流れていってしまうところだった。目を瞑っていてよかった。
もう何も考えるまいと、少し離れた距離から聞こえるペンの音に意識を集中させた。
少しすると、ペンの音が止まって、ペラッと紙をめくる音が聞こえる。ペンを片手に記録用紙をめくって過去の記録を読んでいる颯見くんの姿が、脳裏に浮かんだ。
また、ペラッと紙をめくる音。
やることがなくなって意味もなく記録用紙を読んでいるんだろうな。
申し訳ないと思いながらも、帰っていいよ、とは言えない自分。颯見くんを好きでいることを辞めなきゃいけないと思っているのに、矛盾してる。
ペラッとまた紙をめくる音が聞こえた後、放課後のチャイムが鳴った。
このチャイムが鳴ったら、どんなに長い終わりのホームルームも切り上げて解散になる。
下校する人。部活に行く人。
賑やかな声が、遠くから聞こえてくる。
颯見くんも、そろそろ部活へ行かなきゃいけない。ジャラ、とペンをペン立てに入れる音が聞こえて、ああ、もう行くんだな、と少し寂しく思った。
カタ、と椅子を立つ音。
スタ、スタ、と上靴の音が聞こえて、部屋を出て行くのかと思ったら。なぜかそれはこっちに向かってくる。
「もう寝た?」
不意にかけられた声に、ピクリと心臓が反応した。
私が横たわるベッドの脇で、靴の音が止まる。
今ベッドのすぐ横に颯見くんが立っていて、私を見ているんだと思ったら、緊張して目が開けられない。
「……寝てるか」
颯見くんの独り言が落ちてきて、また心臓を高鳴らせた。
もう完全に目を開けられなくなった状況で、全く颯見くんの音が聞こえなくなる。
まだベッドの脇にいるはずの颯見くんが、何をしていて、どこを見ているのか、全くわからない。
ドクン、ドクン、と心臓が脈を速めていく。
息をしていいのかもわからなくなって、薄く開いた口から浅い息を吐いた。
研ぎ澄まされた聴覚に、カサッとシャツの擦れる音が聞こえた。
サラっと。
額にかかった髪を指が撫でる感覚。
え。
電流が走ったみたいに心臓が大きく揺れて、思わず拳に力を込めた。
起きていることを悟られてはいけない一心で、閉じた瞼に力を入れすぎないように意識を配る。
指の感覚が離れていった後も、どんどんと鼓動は加速していく。
何が起こったんだろう。今のは何だったんだろう。
加速した鼓動と混ざって、思考がぐるぐると落ち着かない。
「……やっぱり諦めらんねーよ」
不意に落ちてきた掠れた声が、すごく切なく聞こえて、また心臓が揺れた。
いや、違う。その言葉は、鈴葉ちゃんに向けられたもの。私じゃない。違う。
そう言い聞かせているのに、半分の自分は何かを期待していて、高揚している。
違うよ。鈴葉ちゃんのことを言ってるんだよ。
だけど、じゃあどうしてさっき私の髪に触れたの。
そんな考えが、戒めの邪魔をする。
また私は、都合の良いように颯見くんの行動を意味付けてしまおうとしている。
もう何度も同じ過ちを繰り返したのに。
それなのに、さっきの触れられた感触を思い出しては、その都合の良い解釈に溺れてしまいそうになる。
葛藤を渦巻かせる私の耳に、はぁ、と長い息の音が入ってきた。
「鈴葉に顔合わせずれーな……」
ズキ、と胸に太い棘が刺さった。
ほら。これが真実。颯見くんが話しているのは鈴葉ちゃんのこと。
鈴葉ちゃんが真内くんのことを好きだと思って、顔を合わせづらいのかな。それでも諦められないって思っているんだな。
揺るぎない颯見くんの想いの強さに気付かされて、また胸が苦しくなる。
勘違いして、恥ずかしい。
「せんせー、すみませーん」
ドアを開けて中に入っていく颯見くんに続いて、私も中へ入る。
中に入って左を向けば、すぐ視界に入る、先生の机と椅子。だけど、いつも座っているその椅子に先生の姿はなくて、辺りを見回した。
「留守、か」
独り言のように呟いた颯見くんが、ガラガラ、とドアを閉めた。
保健室の中。ドアを背にして、距離を空けたまま並んで立ち尽くす私と颯見くん。
息をするのもためらわれるような、気まずい空気が漂う。
「哀咲、」
隣から不意に名前を呼ばれて、心臓が高鳴った。
「大丈、夫?」
気まずさの中に感じる優しい声色に、また勘違いをしてしまうんじゃないかというぐらい、鼓動が跳ねる。
「今日、だけは、ごめんな。でも、心配だから」
少し歯切れの悪い声が優しく響いて、俯いたままの私の額に、スッと手が当たった。
ハッとして思わず顔を上げると、手の温度を感じる前に、またスッと離れるそれ。
一瞬の出来事だったのに、脈はこれでもかというぐらい主張を始める。
「熱は、ない、かな。あんまわかんねーな」
はは、と笑いかける颯見くんに、湧き出てきそうになる想いを必死に抑え込みながら、頷いた。
「けど、やっぱり顔色は良くない。こっち来て」
一番近いベッドに近付いて、掛け布団をサッと半分めくった颯見くん。
優しく笑って手招きされて、誘われるままにベッドへ向かう。
必死に抑え込んでいるのに、それを押しのけて出てこようとする気持ちが、もう無視できないぐらい、鼓動がうるさい。
「はい、寝て」
まるで小さな子どもを誘導するみたいに、颯見くんが優しくベッドの上をポンポンと叩いた。
高鳴る鼓動を耳で聞きながら、ベッドの脇に腰を落として、上靴を脱ぐ。脚をベッドの上にあげて、ゆっくり上半身をベッドにつけた。
「俺は何もしねーから、安心して寝て」
そう優しく笑って、めくった掛け布団をそっと掛けられた。
ベッドから離れて、先生の椅子にポスッと座る颯見くん。机に置かれたペン立てから手慣れた手つきでペンを取り、机の記録用紙にそれを滑らせていく。
颯見くんの姿を視界の端で捉えながら、ドクン、ドクン、と煩く鳴る鼓動を聞く。
だめだ。だめだ。
勝手にたかぶってしまう気持ちが虚しくて、ぎゅっと目を閉じた。
もう、好きでいることを辞めなきゃいけないのに、まだこれ以上好きになろうとしてる。颯見くんは鈴葉ちゃんが好きなんだと、本人から釘を刺されたばかりなのに。
私はまだ懲りないのかな。好きな人を好きでいるのを辞めるって、どうやったらできるんだろう。
颯見くんが近くにいても、もう何も感じない体にしてほしい。
ドクン、ドクン、と心臓の音が、いやでも私の耳を支配して、好き、好き、って訴えかけてくる。
もう止められそうにもないこの気持ちを、私はどこへやったらいいんだろう。颯見くんを困らせたくなんかないのに。
鼻の奥がツンと痛くなって、じゅわ、と滲み出そうになるものを目の奥でとどめた。
よかった。今、目を瞑っていなかったら、流れていってしまうところだった。目を瞑っていてよかった。
もう何も考えるまいと、少し離れた距離から聞こえるペンの音に意識を集中させた。
少しすると、ペンの音が止まって、ペラッと紙をめくる音が聞こえる。ペンを片手に記録用紙をめくって過去の記録を読んでいる颯見くんの姿が、脳裏に浮かんだ。
また、ペラッと紙をめくる音。
やることがなくなって意味もなく記録用紙を読んでいるんだろうな。
申し訳ないと思いながらも、帰っていいよ、とは言えない自分。颯見くんを好きでいることを辞めなきゃいけないと思っているのに、矛盾してる。
ペラッとまた紙をめくる音が聞こえた後、放課後のチャイムが鳴った。
このチャイムが鳴ったら、どんなに長い終わりのホームルームも切り上げて解散になる。
下校する人。部活に行く人。
賑やかな声が、遠くから聞こえてくる。
颯見くんも、そろそろ部活へ行かなきゃいけない。ジャラ、とペンをペン立てに入れる音が聞こえて、ああ、もう行くんだな、と少し寂しく思った。
カタ、と椅子を立つ音。
スタ、スタ、と上靴の音が聞こえて、部屋を出て行くのかと思ったら。なぜかそれはこっちに向かってくる。
「もう寝た?」
不意にかけられた声に、ピクリと心臓が反応した。
私が横たわるベッドの脇で、靴の音が止まる。
今ベッドのすぐ横に颯見くんが立っていて、私を見ているんだと思ったら、緊張して目が開けられない。
「……寝てるか」
颯見くんの独り言が落ちてきて、また心臓を高鳴らせた。
もう完全に目を開けられなくなった状況で、全く颯見くんの音が聞こえなくなる。
まだベッドの脇にいるはずの颯見くんが、何をしていて、どこを見ているのか、全くわからない。
ドクン、ドクン、と心臓が脈を速めていく。
息をしていいのかもわからなくなって、薄く開いた口から浅い息を吐いた。
研ぎ澄まされた聴覚に、カサッとシャツの擦れる音が聞こえた。
サラっと。
額にかかった髪を指が撫でる感覚。
え。
電流が走ったみたいに心臓が大きく揺れて、思わず拳に力を込めた。
起きていることを悟られてはいけない一心で、閉じた瞼に力を入れすぎないように意識を配る。
指の感覚が離れていった後も、どんどんと鼓動は加速していく。
何が起こったんだろう。今のは何だったんだろう。
加速した鼓動と混ざって、思考がぐるぐると落ち着かない。
「……やっぱり諦めらんねーよ」
不意に落ちてきた掠れた声が、すごく切なく聞こえて、また心臓が揺れた。
いや、違う。その言葉は、鈴葉ちゃんに向けられたもの。私じゃない。違う。
そう言い聞かせているのに、半分の自分は何かを期待していて、高揚している。
違うよ。鈴葉ちゃんのことを言ってるんだよ。
だけど、じゃあどうしてさっき私の髪に触れたの。
そんな考えが、戒めの邪魔をする。
また私は、都合の良いように颯見くんの行動を意味付けてしまおうとしている。
もう何度も同じ過ちを繰り返したのに。
それなのに、さっきの触れられた感触を思い出しては、その都合の良い解釈に溺れてしまいそうになる。
葛藤を渦巻かせる私の耳に、はぁ、と長い息の音が入ってきた。
「鈴葉に顔合わせずれーな……」
ズキ、と胸に太い棘が刺さった。
ほら。これが真実。颯見くんが話しているのは鈴葉ちゃんのこと。
鈴葉ちゃんが真内くんのことを好きだと思って、顔を合わせづらいのかな。それでも諦められないって思っているんだな。
揺るぎない颯見くんの想いの強さに気付かされて、また胸が苦しくなる。
勘違いして、恥ずかしい。
