小石の砂利道は終わり、地面は土に変わっていた。

 颯見くんの早歩きが、だんだん速度を落として、普通の速さになり、ゆっくりになり、ついに止まる。
 それに合わせて立ち止まった私の手首から、呆気なく颯見くんの手が離れた。

 ずっと握られていたせいで、久しぶりに触れた空気が冷たい。

 元々人通りの少ない体育館倉庫の裏は、放課後になるとさらに人の気配がなくなる。
 静寂の中で、颯見くんがゆっくりと身体を私に向けた。
 
 背中しか見えなかった颯見くんの顔にふわっと黒髪が掛かって影を作る。
 颯見くんの表情が、見えない。

「ごめん」

 静寂に響いた颯見くんの声が、反響して消えた。
 ドクン、ドクン、と脈が主張して、張り詰めた空気が心臓に痛い。

 長い沈黙。
 颯見くんのごめんの意味がわからなくて、不安が内臓を荒らしていく。
 
 肺が、痛い。
 立っていることすらままならなくて、脚が、震えだした。

「ごめん」

 もう一度謝った颯見くんの髪がふわっと風に揺れる。
 真剣な瞳が、真っ直ぐ私に向けられた。
 
「好き、だ」

 掠れた声が、風に揺れて反響した。



 
 カサカサと木の葉が風で擦れて、その言葉を無かったもののように消し去っていく。

 幻を聞いたみたいに、かき消されそうになるその言葉を、必死に思考が追った。
 
 好き、って、聞こえた。
 好きって。

 肺が呼吸の仕方を忘れて、息が吐き出せない。

「急にごめん。我慢できなかった」

 トクン、トクンと今まで止まっていたかのように主張を始めた心臓。
 やっと吐き出せた息が、熱を帯びて熱い。

「けど、好きなんだ」

 何が、起こっているんだろう。
 何を言われているんだろう。
 
 声は聞こえているはずなのに、思考がそれを受け止めきれない。

「鈴葉がさ、」

 唐突に耳に入った名前に、ピクリと肩が跳ねた。
 あれ、という違和感が私を現実の世界に連れ戻す。

「最近真内の話よくするし、色々わかってんだけど」

 違和感が、だんだんと濃さを増していく。
 それと比例して、浮ついていた思考が地に足をつけて、仕事を始める。

「妬いてんだよ、俺」

 くしゃっと髪をかきあげて、また真剣な視線が私に刺さった。
 この先を言わせちゃいけないと、研ぎ澄まされた第六感が警鐘を鳴らす。

「真内よりも、何年も前から、ずっと好きなのにって」

 そう言った颯見くんの目が、あまりにも真っ直ぐで、トクンと胸が高鳴った。

 だけど、それは本当に幻で、すぐに胸の温度が下がる。

 何年も前から、って、私と颯見くんは出会ってからまだ一年も経っていない。
 
 脚が、まるで宙に浮いたみたいに感覚を失っていく。
 さっきまでザワザワと揺れていた木の葉が、妙に静かに聞こえた。

 そっか。
 颯見くんは、鈴葉ちゃんのことを話してたんだ。鈴葉ちゃんのことを、好きだと言ってたんだ。
 一瞬でも自分のことかもしれないなんて期待して、どこまでも恥ずかしい。
 私は、釘を刺されてたんだ――。

 心臓がザクっと抉られたみたいに悲鳴をあげた。

 苦しい。痛い。
 虚しく動く脈の音が、嫌に耳に響く。

 きっと颯見くんは私の好意に気づいていて、困っていたんだ。
 やっぱり朝羽くんに言われた時に、ちゃんと諦めておけばよかった。そうすれば、こんなに苦しくならずに済んだかもしれないのに。

 息が苦しくなって、喉の奥に空気がつっかえる。

 私、フラれた。完全に、失恋した。
 じわ、と目の奥が熱くなって、堪え切れなくなった涙が流れ出てしまった。

「あい、ざ、き?」

 颯見くんが目を大きくして、私を見る。
 慌てて顔を俯けた。

 釘を刺されて、泣いて。なんて情けないんだろう。
 優しい颯見くんに、また気を遣わせてしまう。

 カサ、と颯見くんのシャツが擦れる音が耳に入った。

「俺、勝手だよな」

 降ってきた声は、残酷に心臓を揺らした。

「ごめん」

 小さく囁くような声が寂しく耳に消えて、颯見くんの爽やかな匂いが鼻をかすめる。

 スッと颯見くんの気配が私の横を通り過ぎて、土を踏む音が遠くへ離れていった。

 

 
 私以外誰もいなくなった、体育館倉庫裏。

「ふぅっ……うっ」

 堰を切ったように、涙が溢れ出て、止まらない。

「はっ……うぅっ……」

 呼吸困難になったみたいに、息が苦しくて、心臓が痛くて、千切れそう。

 苦しい。痛い。苦しい。
 ずっと前からわかっていたのに。どうして今まで諦められなかったの。
 こんなことを颯見くんに言わせる前に、ちゃんと、好きでいることをやめていればよかった。
 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 ――――――
 ――――
 ――……


 そこから私はどうやって泣き止んで、どうやって歩いたのかわからない。
 待ってくれていた吉澄さん達と合流して、無言で帰っていた。

 泣き腫らした目を見れば、何があったのか気にならないわけがないのに、吉澄さん達は何も言わずに一緒に歩いてくれた。