◆◇◆◇
 
 放課後。
 部室の中で、科学雑誌の整理を行っていた。

「でね、やっぱり背の高さはイケメン要素として重要だと思うの」

「歌奈は理想が高すぎる」

「そもそも外見より中身が大事だって」

 科学とは関係ない、吉澄さんのイケメン談議が、緩い空気で繰り広げられている。

「わかってないわねー。いくら中身が良くても外見がだめだったらただの良い人で終わっちゃうんだから」
 
「あー……確かに英麿見てたらそうだよなー。お前いいやつなのになー」

「おいどういう意味だよ! あ、哀咲さん、その雑誌はこっちに置いてね」

 喋りながら洲刈くんがポンポンと雑誌の入った段ボールを叩く。言われた通り、手に持ってる雑誌を、その段ボールの中に重ねた。

 それとほぼ同時に、カラカラ、と。教材室のドアが開く。流れていた会話も、作業する手も、止まった。

「すみません、真内くんいますか?」

 透き通った声が教材室に響いた。
 見ると、ドアからそっと顔をのぞかせる鈴葉ちゃん。

「あの、部活終わってから、ちょっと真内くんと話がしたくて……廊下で待ってていいかな?」

 鈴葉ちゃんの声で、みんなの視線が真内くんへ向く。
 真内くんは、少し間をおいて、小さく息を吐いた。

「……いいよ」

「ありがとう!」

 鈴葉ちゃんはフワリと笑って、チラリと私に視線を移し、手を振りながらドアを閉めた。

 シン、と一瞬静寂が流れた。

「えーっと、作業の続きは明日にする?」

 吉澄さんが静寂を破って、手に持っていた雑誌を置いた。

「だな。早くコンビニ寄って新作菓子買いてーし」

「おまえ食べることしか考えてねーの?」

「うっせーぞ、英麿にも分けてやるから文句言うな」

「いや別に俺いつもいらねーんだけど……」

 言いながら、西盛くんと洲刈くんも段ボールの蓋を閉じたり、残った雑誌を隅に積み上げていく。
 
「終わり終わり。早く帰ろー!」

 パンパンと手を叩いて吉澄さんが立ち上がった。
 私も近くの雑誌をまとめて、未分類の雑誌に重ねる。
 今日の部活はお開きになった。


 ◆◇◆◇

 
 部室を出ると、真内くんは鈴葉ちゃんに連れられて、どこかへ行ってしまった。

「なぁ、さっきのって中雅鈴葉さんだろ? 幼なじみの颯見か朝羽のことが好きなんじゃなかったのか?」

 校舎の階段を降りながら、西盛くんが不思議そうに首を傾げて言う。

「いやあの呼び出し方は告白じゃないって! 私にはわかる!」

 吉澄さんが自信たっぷりに人差し指を立てて言った。

「態度、声色、表情、仕草、どこを見ても告白じゃない!」

「ふーん。じゃあなんの呼び出しなんだろうな」

「それはわかんないけど……」

 なんとなく、鈴葉ちゃんが私と真内くんを付き合わせようとしていることに関係している気がする。

 階段を降り、校舎を出て、靴箱前。
 靴箱はクラスごとに分かれているから、吉澄さん達とはしばしの別れ。
 
 自分のクラスの靴箱まで歩き、上靴を脱いで、ローファーに履き替える。
 脱いだ上靴を靴箱に入れて、歩き出そうとした。

 だけど、足はその場で一歩も出ずに固まった――。

 ドクン、と心臓が跳ねる。 
 靴箱の奥に、並ぶように置かれた傘立て。その縁に浅く座る一つの影。見慣れた姿。
 いつもなら、こんな所で出会わないから、少し緊張が走る。

 地面に向いていた彼の視線が、ゆっくりと私に向いた。

「あ……颯見、くん」

 思わず名前を呼ぶと、颯見くんはひょいっと立ち上がった。

 誰かを待っているのかな。
 と考えて、すぐに気がつく。待ってるのは、きっと鈴葉ちゃん。
 
 ぎゅ、と心臓が捻られる。
 きっと心配なんだ。鈴葉ちゃん、今真内くんと話しているから。颯見くんの中はきっとモヤモヤでいっぱい。鈴葉ちゃんが真内くんのこと、好きだと思って。

 考えると胸が苦しくなって、繋がっていた視線を逸らした。彼の横を通り過ぎようと、俯きがちに進む。

「待って」

 不意に目の前に颯見くんが立ちはだかって、ぶつかりそうになった。寸前で止まって、目の前の胸板を見る。
 
 距離が近い。
 鼓動が加速する。

「哀咲」

 落ちてきた声がいつもより耳元で聞こえて、心臓が破裂しそうなぐらい高鳴った。

 こんなに近い距離にいたら、この鼓動の音が颯見くんにも聞こえてしまう。

 耐えられなくなって、一歩、後ろに下がると、ピク、と颯見くんの手が動いた。

 
「ごめん、もう限界」

 いつもより低い声が落ちてきて、パシッと左手首を掴まれる。

 え、と顔を上げようとすると、不意に手首を引かれて、一瞬つまづきそうになった身体が颯見くんの体に当たった。

「あ、ごめんなさい」

 密着した身体が熱くて、火照る顔を隠しながら体を離した。
 
 顔を上げられない。掴まれたままの手首が熱い。脈が不規則に動いて息が苦しい。

「哀咲さーん、まーだでーすか……って、え?」

 昇降口の方から、吉澄さんの声が飛んできた。
 たぶん、出てくるのが遅い私のことを気にして見にきてくれたんだ。
 だけど、きっと今の私の顔は真っ赤で、人に見せられるようなものじゃなくて、顔を上げられない。

 まだ、手首が掴まれてる。
 身体に毒がまわるみたいに、熱くて、熱くて、息苦しい。

「ごめんキミ、哀咲借りるよ!」

 颯見くんが少し大きめの声でそう言って、背中を向けて歩き出した。
 手を引かれるまま、早歩きな颯見くんにパタパタとついていく。 
 待ってるねー、と後ろから吉澄さんの声が飛んできた。
 グラウンド横を、校門とは反対側に向かって進んでいく。

 どこに行こうとしてるのかはわからない。何があるのかもわからない。颯見くんが今何を考えているのかも。

 いったい、今、何が起こっているんだろう。
 わかるのは、触れられている手首からのぼる熱と、鼓動の音だけ。
 颯見くんは先へ先へ早歩きで進んで行って、一言も言葉を発さない。

 グラウンド横から少し奥まった道に曲がって、小石が敷き詰められた地面が、じゃり、じゃり、と容赦無く音を立てる。
 早歩きの颯見くんと、小走りの私。
 少しでも私が歩く足を遅めたら、この手首を離されてしまいそう。
 まだ、触れられていたい。