第14章 待ち伏せ


「いってきます」

 朝、いつものようにお母さんに声をかけて、玄関を出た。

 いつもならその後すぐ「おはよー」と明るい声が飛んでくる。はずが、今日は飛んでこない。
 見ると、吉澄さんも西盛くんと洲刈くんもいなくて、ポツンと一人、真内くんだけが立っていた。

「歌奈たちは別の用事」

 カタコトの日本語みたいに、単語を落とす真内くん。
 吉澄さん達は別の用事でいないから、今日は真内くんだけ迎えにきてくれたのかな。律儀だなぁ。
 そう思いながら、真内くんの隣に並ぶ。
 
 最近は、鈴葉ちゃんがたまに休み時間にクラスに来ては無理やり私と真内くんに話しかけていくから、少しだけ、真内くんのことがわかってきた。
 前ほど沈黙が続いても緊張しない。 

 いつもなら、吉澄さんと西盛くんと洲刈くんの折り重なるような会話を聞きながら歩く道を、二人並んで無言で歩く。

「やっば今日古典小テストじゃん!」
「うわー最悪」
 
 同じ制服を着た周りの子達の会話が、こんなにとてもよく聞こえるは、いつぶりなんだろう。

 緩やかな坂をのぼって、校門を抜ける。

「先生おはよー」
「おはよう! 髪明るいぞー!」
「見逃してー」

 先生と友達のように喋る生徒や、キャッキャと騒ぐ女子達。校舎までの道も、いつも以上に賑やかに聞こえた。

「危ない!」

 突然、そんな声が飛んできた。
 ハッと顔を向けると、こちらに向かって勢いよく飛んでくるサッカーボール。

 ぶつかりそう。
 そう思って顔を背ける直前、スッと隣の手が顔の前に延びてきた。

 パンっと音を立てて、サッカーボールが跳ね返り、地面に落ちる。
 ハッと思い出したように空気を吐く。 
 地面に落ちたボールを、真内くんが拾い上げた。

「わーすみませーん」
 
 一人の男子が謝りながら走ってくる。真内くんがヒョイっとボールを投げて、その男子に渡した。
 
 真内くんが助けてくれた。

「もーだからいつも言ってるだろ! ちゃんと蹴らずに片付けろよ」

「悪い悪い」

 ボールを受け取った男子達が何か言いながら去っていく。
 
 お礼、言わなきゃ。
 そう思ったと同時、真内くんの切長の目がこちらに向いた。

「じゃあな」

 私が何かを言う前に、真内くんは短く言って歩き出してしまった。
 あ、と声が漏れる。
 お礼、言いそびれてしまった。だけど、追いかけるのもしつこい気がして、その背中を見送る。

 
「雫ちゃん!」

 突然、横から声が飛んできて顔を向けた。
 見ると、サラサラの髪を揺らしながら走ってくる鈴葉ちゃん。

「一緒に行こー!」

 私の前まで来て、そうふわりと笑った。
 頷くと、鈴葉ちゃんの顔が耳元に寄る。
 
「ね、さっき真内くんと一緒に登校してた?」

 小声で聞かれて、何も考えず頷く。
 すると、鈴葉ちゃんは「そっかー!」となんだかとても嬉しそうにはしゃぎ始めた。

「ついに、もしかして、付き合った?」

「え、」

 いきなり、そんな予想外のことを聞かれて、鈴葉ちゃんの顔を見返すと、「どうなの?」と楽しそうな声。

「付き合ってないよ」

 答えると、上がっていた口角が一瞬固まって、眉が徐々に下がっていった。

「そっかぁ」

 残念そうに息を吐く鈴葉ちゃん。
 もしかして。鈴葉ちゃんは、私と真内くんに付き合ってほしいのかな。
 鈴葉ちゃんがどうしてそう思っているのかはわからないけど、そんな気がしてきた。

「結構いい感じだと思うんだけどなぁ」

 小さくため息を吐いた鈴葉ちゃんがそう呟いて、私に視線を向け、ニコリと笑った。

「まぁこれからだよね! 行こ!」
 
 また春の花のようにフワリと笑って、私の手を引いた。
 

 ◆◇◆◇

 
 休み時間。
 チャイムが鳴った瞬間から、颯見くんの席には男子がワラワラと集まってくる。
 私と颯見くんの席の間には、男子の群れの壁。

「男子ちょージャマ」

 前の席の倖子ちゃんが、不機嫌そうに男子を睨んで、後ろを振り向く。
 と同時に、倖子ちゃんの顔がさらに険しくなった。

「……また来た」

 鬱陶しそうにため息を吐いた倖子ちゃんの視線の先を辿った。廊下を軽やかに歩く鈴葉ちゃんの姿。

「お邪魔しまーす」

 鈴葉ちゃんが、この教室のドアから可愛く首を傾けて顔をのぞかせた。
 そのまま、いつもと同じように私に目を向けて、中に入ってくる。

「さっきの時間、移動教室だったから、教室戻るついでに来ちゃった」

 フワリと笑って、私の隣に小さく駆け寄る。そしてすぐに、私の斜め前の真内くんに視線を向けた。

「真内くん、話そー!」

 そう話しかけて、楽しそうに笑う。
 真内くんが小さく息を吐いて、諦めたように後ろを向いた。

「真内くんって背高いよね! 雫ちゃんとは何センチ差になるの?」

 いつものように、私と真内くんを巻き込んだ無理矢理な会話。

 鈴葉ちゃんがこんなことをする理由も、今朝のことでなんとなく察しがついた。
 どうしてかわからないけど、鈴葉ちゃんは私と真内くんをくっつけようとしている。
 
「鈴葉、もう教室戻った方がいいんじゃねーの?」

 颯見くんが、少し不機嫌そうな低めの声で言った。

「えー、今日はもうちょっと」

「真内と哀咲が迷惑してんだろ」

 ちょっと呆れたような声。そばにいる男子達が困惑した様子で鈴葉ちゃんに目を向けた。

「えー、今いい感じで、この時期を逃したくないんだけどな……。でもそうだよね、長居はよくないね」

 鈴葉ちゃんは時計を見て少し残念そうに笑った。

「じゃあね、またね」

 軽やかな声を残して、教室を出て行く鈴葉ちゃん。
 ふわりと揺れる程よい長さのスカートや、サラサラ風になびく綺麗な黒髪が、廊下の奥に消えて行く。 

 そのすぐ後、隣からポツリと聞こえてきた。

「……いい感じってなんだよ」 

 小さな呟き。颯見くんのどこかやるせないような声。
 その呟きの意味に、あ、と気付いてしまって、胸の奥が締め付けられた。

 颯見くんは、鈴葉ちゃんが、真内くんのことを好きだと思ったのかな。鈴葉ちゃんと真内くんの二人がいい感じという意味だと受け取ったのかな。二人が話しているのを見たくなくて、早く帰らせたかったのかな。

 颯見くんは鈴葉ちゃんのことが好きだから。

 何度も何度も知らしめられて実感して理解してきたつもりなのに、また心臓が切り裂かれる。
 胸が苦しい。いいかげん、早く慣れてしまいたい。