第13章 となりの席


 中間テストが無事終わり、六月になった。
 雨が続いて、湿った空気が身体に纏わり付く。

 ――自分から何か頑張ってみてもいいんじゃない?
 たまにふと、あの日倖子ちゃんに言われた言葉が頭をよぎる。
 だけど実際にそうするのは、あまり現実的ではなくて、以前と変わらないまま。

「こーんな鬱陶しい季節だし、君達に新しい風を送り込んでやろう」

「……太吉先生、何言ってんの?」

 終礼の時間に、担任の太吉先生がよくわからないことを言って、黒板に大きく縦線を引き始めた。

「席替えするぞー」

 そう先生が言うと、わーっと教室が沸き立った。

「やった、あたし後ろの席がいいな」
「俺、窓際!」
「あたしケイコちゃんの近くがいいなぁ~」

 口々に希望が飛び交う。

 私は、倖子ちゃんと近くの席になれたら、嬉しいな。
 そう思ったと同時に、ふと浮かんだもう一つの希望の席。だけど、それはあまりにも傲慢で、恥ずかしくて、心の中でも呟けない。

「よーし。じゃあ番号書いた紙適当に配るから座っとけー」

 太吉先生がそう言って、歩き回りながら一人ずつ紙切れを渡していく。

「せんせー、こういうのって普通くじ引きじゃないのー?」

「うるせー、この方が早いだろー」

「まーそうだけどさー」

 配られていく紙を受け取った生徒が、数字を周りと見せ合ったりして、だんだん賑やかになっていく。

 ついに私のところまで先生が回ってきて、机にポンと紙切れが置かれた。
 それを裏返すと、『35』と書かれている。
 
「全員配り終わったな。席順書いてくぞー」

 太吉先生が教壇に戻って、チョークを黒板に当てた。

「せんせー、5番と16番隣にしてー」

「あー? そういうの言うとわざと離すぞ」

「え! やっぱ聞かなかったことに!」 

 ザワザワと沸き立つ教室で、私も気持ちが落ち着かない。
 
 カンカンと心地よく鳴り響くチョークの音が、よし、と言う声とともに止んだ。
 チョークを置いた先生が、パンパンと手を払いながら生徒に向く。

「じゃあこの通りに移動開始しろー」

 太吉先生の号令で、みんなが席を立った。
 黒板に書かれている自分の番号の場所。一番廊下側の後ろからニ番目の席だ。

「雫! 何番だった?」

 席を移動する前に倖子ちゃんが駆け寄ってきた。
 そのまま私の紙切れをパッと奪い取って、黒板と見比べる。

「やった、席前後じゃん、あたしら!」

 振り返った倖子ちゃんが、嬉しそうに笑った。

「ほ、ほんとに?」

 嬉しくてそう聞くと、ほら、と倖子ちゃんが自分の番号を見せてくれた。
 11番。黒板を見ると、私の番号の前の席が11と書かれている。

「ね?」

 言われて頷くと、倖子ちゃんは満足そうに席に戻っていく。

「やべ、一番前かよー」
「ケイコちゃんと離れちゃったー」
「ラッキー、窓際一番後ろ寝放題!」
 
 クラスメイトも、それぞれいろんな表情をしながら、机を移動させている。
 颯見くんはどこになったのかな、なんて一瞬思って、つい視線が向きそうになるのを、なんとか食い止めた。

 自分の机に手をかけて移動させる。
 目的の場所まで運び着いて、机の向きを微調整しながら椅子に座る。

 いつもと違う眺めの教室は、まるで違う場所のように見えた。
 重い机を気怠そうに運んでくる倖子ちゃんと目が合って、自然と顔がほころぶ。

 ガタ、と。
 すぐ左横から、机が地に着く音が聞こえた。

 倖子ちゃんの視線が私の左隣に移って、わぁ、と声が漏れたのを聞いた。
 その声に釣られて、私も隣に視線を向ける。

「哀咲、」

 聞こえた瞬間、トクン、と大きく脈が揺れた。
 もしかして、隣の席って――。
 
 颯見くんとばっちり目があって、鼓動が鳴る。

「隣、よろしくな」

 颯見くんがクシャッと笑った。
 まるで夢の中にいるみたいに胸が高鳴って言葉が出ない。

「お、嵐、いい席になったなー!」

 太吉先生の声でハッと現実に戻る。
 先生が言いながら颯見くんに近づいてきた。かと思ったら、フッと私に視線を送った後、にやりと笑った。

「いいなー青春は」

 それだけ言って教壇に戻っていく。
 あれ。私、もしかして。太吉先生に見破られてるかもしれない。

「なんだよ、意味不明だな」
 
 太吉先生の背中を見ていた視界の端に、颯見くんの笑う横顔が映って、ドクン、とまた鼓動が主張した。

 すごく、近い。
 これからこの席で、授業を受けたり、休み時間を過ごしたり、するんだ。

「よーし、みんな移動したな。委員長、号令」

 起立、礼、ありがとうございました、と、いつもと変わらない挨拶を終える。
 
 その後の教室が、今日はいつもより賑やかな気がする。
 私も、左半身が、落ち着かない。

「哀咲、また明日な!」

 不意に声を掛けられて、反射的に揺れた鼓動と同時に左を向いた。

 颯見くんと視線が繋がる。心臓が跳ねて、脈拍数が一気に上昇する。

「う、うん」

 絞り出した返事に、満面の笑顔で手を振られて、颯見くんはそのままサッカー部の男子達と一緒に行ってしまった。

 
「いいじゃん、よかったじゃん」

 ポン、と背中を軽く叩かれて、ハッと振り返った。
 まるで太吉先生みたいに、ニヤリと笑う倖子ちゃん。全て見透かされているのがわかって、急に恥ずかしくなった。

「こ、倖子ちゃんの隣、誰だったの?」

「え、真内だよ」

「あ、そうなんだね」

「ふーん……斜め前なのに見てなかったとか、相当隣気にしてたんじゃん」

「え、いや、あの、」

「かわいいなー雫は」

 最近倖子ちゃんは、少しだけ前より意地悪なことを言うようになった。
 でもそれは全然嫌なものじゃなくて、焦ったり戸惑ったりするけど、少し楽しい。

「じゃ、あたしもそろそろ行くね」

 倖子ちゃんがラケットの入った蛍光ピンクのカバーを肩にかけた。

「うん」

「また明日!」

「うん、バイバイ」
 
 倖子ちゃんの前だと、自然な言葉が、こんなにも溶け込むように喉を抜けていく。一年前とは違う、そんな自分に気付いて、少し嬉しくなった。