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 一時間目、二時間目、と高二になって初めての授業が進んで行く。

 どの教科も去年と同じ先生なのに、一緒に授業を受けているメンバーが違うだけで、去年とは全く違う空気。
 颯見くんと一緒に授業を受けていて、同じ、この教室の空気を吸っている。それが、なんだかとても不思議で、貴重で、大切にしなければならないことのような気がして、少し、落ち着かない。

「はい、今日の授業はここまで」

 物理の先生がパタンと教科書を閉じると、ちょうどよくチャイムが昼休みの始まりを告げた。

 先生が教室を出ると同時に、騒がしくなる教室。沸き立った声を耳にしながら、机の上に開かれたままのノートや教科書を、一つ一つ閉じて片付けていく。

「颯見ー、昼飯どこで食べんの?」

 聞こえた名前に、教科書を持ったまま手が止まった。

「弁当持ってねーし学食行く」

 ちらりと視線を向けると、数人の男子が颯見くんの席を囲んで話している。

「お、じゃあ俺も学食!」
「俺、学食の中華丼食べたかったんだよなー」
「あれ不味いらしいぜ?」
「マジかよ!」

 颯見くんも、その周りの男子も、すごく楽しそう。
 やっぱり、颯見くんはすごい。気がつけばいつでもたくさんの友達が寄ってきて、颯見くんも、友達も、自然で、楽しそうで。
 鈴葉ちゃんと同じだ。

「嵐いるー?」

 ちょうど鈴葉ちゃんの声が聞こえて、ガラッと教室のドアが開いた。

「おー鈴葉。どうした?」

 颯見くんの視線が、鈴葉ちゃんに移る。周りにいた男子たちも、会話をやめて同じく視線を移した。

「あ、いたいた。顧問から伝言で、」

 颯見くんと鈴葉ちゃんの世界が始まる。
 二人とも美形だからか華があって、冗談を言い合って罵り合い始める姿までもが、楽しそうに映る。
 
 周りにたくさん人はいるのに、誰も邪魔をしない。誰も入れない。それぐらいお似合いだと、みんなが思ってる。
 そんな空気が伝わってきた。

 ……嫌だな。
 ふと浮かんだ感情に自分で驚いた。

 なんて厚かましいことを思ったんだろう。そんなこと思う権利、私にはないのに。 
 颯見くんと同じクラスになって、傲慢になっているのかもしれない。
 
 嫌な感情を抑え込もうと、視線を外して手に持ったままの教科書を片付けた。
 
「あ! 雫ちゃん!」

 だけど、そんな私の醜い感情なんて知らない、綺麗な澄んだ声が、飛んできた。
 なんとなく、後ろめたさを感じながら目を向けると、ニコッと笑って駆け寄ってくる鈴葉ちゃん。

「久しぶり! 嵐と同じクラスだったんだね!」

 ポン、と。鈴葉ちゃんの温かい手が、優しく頭の上に乗った。
 罪悪感で、思わず視線を逸らす。

「あ、急にごめんね」

 嫌だったからだと思われたのか、手の温度がスッと頭から消える。

「あ、」

 慌てて視線を上げると、鈴葉ちゃんはふわりと笑って、机のへりに手をついてしゃがんだ。

「いいね! このクラス、よかったね!」

 穢れのない透き通るような瞳が、優しく弧を描いて笑っている。

「困ったことあったらきっと嵐が助けてくれるよ。それに……」

 そう言った鈴葉ちゃんの視線が私の隣に移った。

「真内くんもすごく頼りになりそう!」

 ふふっと可愛らしく笑った鈴葉ちゃん。
 え、と思わず声が漏れて、隣に座っている真内くんも本から顔を上げたのが見えた。

 鈴葉ちゃんは、なんだか楽しそうな笑顔を真内くんに向けている。

「真内銀十郎くん、だよね?」

「……そうだけど」

 少しの間をあけて、真内くんが返事を返した。
 鈴葉ちゃんは、楽しそうな笑顔のまま、私と真内くんの顔を交互に見る。

「雫ちゃんと真内くんって、付き合ってるの?」

 私達にしか聞こえないような楽しげな鈴葉ちゃんの小さな声が届いて、へ、とまた息を漏らした。

「……付き合ってない」

 呆れたような低い声が隣から聞こえる。
 鈴葉ちゃんが、あー、と少し視線を逸らして、また向き直った。
 
「そっか、ごめんね。なんとなくお似合いだなーと思って聞いちゃった」

 そう言って何かを考え込むように黙り込む鈴葉ちゃん。
 鈴葉ちゃんの発言に頭がついていけなくて、ポカンと眺めていると、隣から鬱陶しそうなため息が聞こえてきた。

「そもそも、哀咲とは同じ部活だけど、ほとんど話したことない」

 そう言った真内くんが、また読みかけの本に視線を落としたのが、見えた。

「ほとんど話したことないのかぁ……」

 鈴葉ちゃんはまだ何かを考え込んでいる。
 いったいどうしたんだろう。鈴葉ちゃんの考えていることがわからない。どうして急に、真内くん?

 眺めていると、その顔が何かを閃いたようにパァと明るくなった。

「じゃあこれから話していけばいいよね!」

 鈴葉ちゃんは、そう言って楽しそうに笑顔を向ける。

「せっかく隣同士の席なんだもんね!」

 明るい鈴葉ちゃんの声。
 もしかして、私がクラスに馴染めるように、心配してくれてるのかな。

 やっと鈴葉ちゃんの考えていることがわかって、思考が回りだす。
 ありがとう、と言おうと思った時。

「中雅鈴葉、」
 
 後ろから鈴葉ちゃんの名前を呼ぶ声。

「トイレから帰ってきたら、なんであんたがいんの? そろそろ雫を解放してよ。ご飯食べたいんだけど」

 振り返ると、倖子ちゃんがスッと私の肩に手を乗せた。

「あ、寺泉さんも同じクラスなんだ! よかったね!」

 鈴葉ちゃんは、そう言って嬉しそうに立ち上がって、「じゃあね!」と手を振り離れていく。去り際に、颯見くんにも別れを告げて教室を出ていった。


 
「雫、弁当食べよ」

 私の後ろの席の机にポンっとお弁当を置く倖子ちゃん。私もお弁当を鞄から出して、同じ机に置いた。

 
「学食行こうぜ、颯見」

「おう」

 つい聞き取ってしまう颯見くんたちの声。ぞろぞろと賑やかに教室を出ていく姿をちらりと見送る。

 もう一つのドアでは、吉澄さんたちがお弁当を持って真内くんを呼んでいて、隣からスーッと席を立つ音が聞こえた。

 いつも一緒に食べてるのかな。そう思いながら、自分のお弁当に視線を向ける。

「聞いてよ、このクラスからトイレマジ遠いんだけど!」

 最悪、なんて言いながらお弁当を広げる倖子ちゃん。

「大変だね」

「本当そう! 頻繁にメイク直さなきゃなんないのにさー」

 一年の時と変わらない昼休み。

「そういえば、中雅鈴葉、真内に声かけてなかった?」

「あ、うん」

「なんで? もしかして颯見に飽きて真内が気になってたりしてー!」

「えっ!」

「ま冗談だけどさ」

 言いながらパクッとウインナーを口に入れる倖子ちゃん。
 
 冗談。だと思っていたけれど。
 その日以降も、鈴葉ちゃんは、たまにクラスに顔を出して、颯見くんに用があるわけでもなく、真内くんと私に話しかけていくようになった。