足が向かうのは、突き当たりの、人だかりのできた用具小屋辺り。
 運動部の人達が和気あいあいと用具を片付けている姿が見える。

 その中に颯見くんの姿を探しながら、坂道を転がるボールのように前へ前へと進んでいく。
 
 頭の中では、まだ不安が大部分を占めているのに。
 
 ――颯見が受け取らなかったら、俺が代わりに受け取ってやる

 悲しみの受け入れ先を見つけただけで、体が軽くなった。

 これを勇気と言うのかはわからないけど。もう、受け取ってもらえなくてもいい。ただ、渡したい。それだけ。

「あー疲れた。帰りにカラオケ寄ろうぜ」

「お、いいじゃん。行こ行こ」

 片付けをしている運動部の人たちの声が飛んでくる。

 近づいていく、用具小屋。渡す瞬間が迫っていく。
 不安と勇気みたいな何かが混ざり合って、荒い息が苦しさを増していく。
 走っているせいなのか、動悸が激しくておかしくなりそう。

 もう、早く渡してしまいたい。そんな投げやりな感情さえ湧いてくる。

「つーか今日サッカー部帰るの早すぎじゃね?」

 ふと耳に届いた誰かの声に、馬車馬のように走っていた足が止まりかけた。
 減速していく足に比例して、膨らんでいた何かが少しずつしぼんでいく。

「あー。女子が何人もチョコ渡しに来て練習にならなくて即解散だってさ」

「マジかよ、羨ましいなー」

 そんな会話が聞こえて、減速していた足が駆け足から徒歩に、そして静止した。
 走って荒くなった息の音が、耳にうるさく響く。

 そっか、颯見くん、もう帰っちゃったんだ。なんだ、そっか。
 
 鞄の持ち手をぎゅっと握りしめて、体を方向転換させた。

 さっきまで胸いっぱいに思いを詰め込んで走っていた道を、空っぽになった体で、ゆっくり歩いて戻っていく。

 颯見くんに、逃げられた。
 なんて、そうじゃないのはわかるのに、そんな気がした。

 これはきっと神様が、渡すな、迷惑だぞ、って教えてくれたんだと思う。だからこれでよかったんだ。
 そう言い聞かせながら進む。

 その視線の先に、校舎の壁に背中を預けて立つ真内くんの姿が映って、なんだか申し訳なく思った。

 わざわざ帰宅後にもう一度私の家を訪ねてくれて、学校まで誘い出してくれたのに。普段あまり喋らないのに、あんなに必死に背中を押す言葉を並べてくれて。受け取らなかったら代わりに受け取ってやると、逃げ道まで与えてくれた。
 それなのに、渡せなかったなぁ。

 そもそも他人に促されて出した勇気なんて、自分のものではなくて。そんな付け焼き刃みたいな勇気で渡しに来られても、颯見くんだって困るだけ。
 都合よくチャンスなんて与えられるわけなかった。

「颯見いたか?」

 目の前に立つと、視線だけこちらに向ける真内くん。首を振ると、「そうか」と短く呟いた。

「……悪かったな」

 突然言われた言葉の意味が理解できなくて、真内くんの表情を読み取ろうとするけど、いつもの無表情。
 
 悪かったのは、私の方。背中を押してくれたのに、結局何もできなかった。

 しばらくの沈黙が流れた後、真内くんが壁に預けていた背中をグッと壁から離した。

「颯見の家、行くか」

 突然の発言に、え、と声が漏れる。
 
 歩き出そうとする真内くんの制服の裾を咄嗟に掴んだ。
 立ち止まって振り返った真内くんにハッとして、慌てて裾を放す。

 また、しばらくの沈黙。

 真内くんは、まだ諦めずに渡しに行かせようとしてくれているのに。一度しぼんでしまった何かが息を吹き返すのは難しい。
 もう私には、颯見くんの家に行くほどのそれは残っていなかった。
 
 そっと、鞄に手をかけチャックを開ける。
 中の赤い箱を取り出して、それを真内くんの前に突き出した。

 颯見くんのために作ったトリュフ。颯見くんに渡したかったトリュフ。だけど。
 こんなに私に勇気をくれようとした真内くんに、貰ってほしい。
 颯見くんに対する私の想いを、大切に思ってくれた真内くんに。貰ってほしい。

 真内くんは表情を変えないまま暫くその箱を見つめて、ゆっくりそれを受け取ってくれた。

「いいのか? これで」

 私が頷くと、真内くんは無表情のまま帰り道を歩き出した。
 帰り道もやっぱり無言。だけど私に歩調を合わせてくれている。

 今日の一度目の帰り道とは、全然違う。
 颯見くんにトリュフは渡せなかったけど、心は少し軽くなっていた。