――ピンポーン

 突然鳴り響いたインターホンの音で、ネガティブな思考の世界から、現実の世界に連れ戻された。

 もうどれほどの時間、泣き続けていたのかわからない。

 お母さんが帰ってきたのかな。
 そう思って立ち上がった時。

 ――ピンポーン
 もう一度インターホンが鳴った。

 靴を脱いで玄関から上がり、慌ててインターホンの受話器を外す。

「はい」

 泣いていたことを気付かれないように、よそ行きの高い声で応えた。

「あ、突然、すみません……雫さんと同じ部の、真内です」

 耳に当てた受話器から聞こえた低い声は、あまりにも予想外の人物で。

「……え?」

 思わず、声を漏らした。

「ん……? あんた哀咲、か。今、出られるか?」

 真内くんの低い声が、私に向けられる。

 私に何の用事だろう。
 真内くんとはテーブルゲーム部の中でも一番接点が無くて、話しかけられることもほとんどない。

 インターホンのカメラの映像には真内くん以外に人がいる気配は無くて、ますます不思議に思う。
 疑問を抱きながら、そっと受話器を置いて玄関を出た。

「突然悪い」

 そこにいたのは、インターホンのカメラに映っていた通り真内くんただ一人。
 私が首を横に振ると、真内くんは私の顔を見て一瞬目を見開いた。

「あんた……泣いてたのか?」

 真内くんの落ち着いた低い声が、いつもより強めに響く。
 ハッとして顔を俯けた。

 そうだった。
 真内くんが訪ねてきたことが予想外で気が回らなかったけれど、今私の目は泣き腫らして赤いに違いない。

「……トリュフ、まだある?」

 また予想外のその発言に、小さく胸が痛んだ。

 颯見くんに渡せなかったトリュフ。陽の目を見ることなく、鞄の中で眠っている。
 
 せっかく作ったものだけど、きっと自分で食べることも出来そうにないな。
 あんなに颯見くんへの想いを詰めたトリュフを、お父さんやお母さんにあげるのも、なんだか違う。
 捨てなきゃいけない、かな。
 
 じわりと目頭が熱くなって、慌てて目に力を入れた。

「哀咲、」

 落ちてきた低い声が、ちょっと怒ってるようにも聞こえて、ハッと顔を上げた。
 だけど、真内くんはいつもと同じ無表情。

「トリュフあるなら持ってきて」

 そんな予想外のことを言われて、わけがわからないまま、鞄ごとトリュフを取ってくると、少し真内くんの表情が緩んだ気がした。

「行くぞ」

 そう言って歩き出す真内くんに、訳も分からず慌ててついていく。

 どこへ行こうとしているんだろう。
 隣を歩く真内くんは、何も言葉を発しない。
 だけど、私に歩調を合わせてくれているのを感じて、少し安心感を感じてしまう。

 私は、泣いた跡のある顔を見られたくなくて、少し俯きがちに歩いた。

 そうして、着いた場所は、学校だった。
 
 持ち出されたトリュフ。学校。
 少し不安に思って真内くんの顔を見上げるけれど、真内くんは表情ひとつ変えずに進んでいく。

 グラウンドから、運動部の「あざっしたぁーっ!」と威勢のいい終わりの挨拶が聞こえてくる。

 真内くんの考えていることがわかった気がして、その場に立ち止まった。
 それに気づいた真内くんも、歩みを止める。

 しばらく立ち尽くして続いた沈黙を、真内くんが破った。

「それ、頑張って作ったんだろ」

 視線が私の肩にかかった鞄に向けられる。
 低く響いた心地いい声に、また、涙が出てきてしまいそうで、ぎゅっと鞄の持ち手を握りしめた。

「渡したかったって顔してる」

 続けられた言葉を、肯定してしまいたい自分と、それを戒める自分がいる。

「大事なのは、あんたの気持ちだろ」

 だめだよ、真内くん。気持ちを揺らさないで。
 そんな自分勝手なことしたら、駄目だから。颯見くんに迷惑かけてしまうから。

「受け取れなくても、迷惑だと思う男なんていねーよ」

 ドクドクと脈を打つ。
 その言葉を肯定してしまいたい自分が、私自身を蝕もうとする。

 渡しても迷惑だとは思われないの?
 渡してもいいの?
 
 駄目。違う。
 鈴葉ちゃんのもの以外受け取れないということは、つまり渡したら迷惑だということ。

「なぁ、」

 続きの言葉を聞くまいと、咄嗟に両耳を塞いだ。

 真内くんは優しいから、そう言ってくれてるだけ。なのに私は、これ以上聞いたら、渡しに行ってしまいそう。

 私の反応を見て、開きかけた口を閉ざした真内くんが、一歩、私に近づいた。

 真内くんの手がスッとのびる。
 え、と思った瞬間には、両耳に当てた私の手首が優しく掴まれていた。
 驚いて力の抜けた手首を、ゆっくり耳から離される。

「颯見が受け取らなかったら、俺が代わりに受け取ってやる」

 解放された耳から入ってきた言葉が、思考回路に届くまで、数秒の時間を要した。

「あ……の……」

 自然と出てきていた声に、真内くんの表情が緩む。

「だから、渡してこいよ」

 手首を掴んでいた手が離れて、ポン、と背中を押されて。送り出されるように、私は走り出していた。