「こっち」

 中庭を抜け、校舎を横切り、裏山を歩く。
 聞こえるのは、ザクッザクッと霜の降りた地を踏む靴の音と、自分の鼓動だけ。
 進んでいく颯見くんの背中に、ただ黙ってついていく。
 
 その背中の反対側で、颯見くんは、どんな表情を浮かべているんだろう。進むたびに不安が募っていく。

 颯見くんは、朝羽くんが私を泣かせたと勘違いしてる。
 例えば、朝羽くんが私に嫌なことを言っているように見えたのかもしれない。もしかしたら、イジメだと思ったのかもしれない。
 だから、颯見くんは朝羽くんに怒って、私をあの場から救おうと連れ出したんだ。
 
 きっとそうだ。早く、誤解を解かなきゃ。
 そう思って口を開きかけた瞬間、前を歩く颯見くんが立ち止まった。
 
 出しかけた言葉を思わず飲み込んで、私も立ち止まる。
 颯見くんは、掴んでいた手を離して、そのまま横の校舎の壁に背をもたれ掛けた。
 風が吹いて、颯見くんの黒い髪がふわっと揺れる。
 
 その視線がゆっくりと私に向いて、ばちっと目が合った。
 怒っていると思っていた颯見くんの目が、とても優しい。ドクンと鼓動が鳴る。

「……大丈夫?」

 優しく言われて、ハッと誤解を解かなきゃいけないことを思い出した。
 ぎゅっと、制服のスカートを握りしめる。

「朝羽くんは、何も、悪くない、よ」

 言うと、颯見くんの肩がピクッと揺れる。

「朝羽くんに、泣かされた、わけじゃない」

 むしろ泣きたかったのは朝羽くんの方だろう。朝羽くんは、鈴葉ちゃんと颯見くんに近い分、きっと私よりも辛い思いをたくさんしてきているはず。
 切ない朝羽くんの横顔が思い出される。

「そっか」

 ススっと服の擦れる音が耳に入って、視界に、しゃがみこんだ颯見くんの姿が映った。

「じゃあ、なんで泣いてた?」

 膝に頬杖をついて、私の顔を見上げる颯見くん。
 視線が繋がって、またドクンと音が鳴ったけど、その視線がなんだか優しくて、目を離すことができなくなってしまった。

「えっと、」

 でも、泣いてしまった本当の理由なんて、言えるわけない。颯見くんのことが好きだけど叶わない思いだから泣いてしまった、なんて。

「えっと、」

 どう答えようかと思考を巡らせている間も、ずっと送られてくる颯見くんの優しい視線。それどころじゃないのに、勝手に身体が熱くなる。
 もう耐えられない気がして、その視線に誘われるようにしゃがみこんだ。
 
 必然的に近づいた、颯見くんの顔。その距離が思ったよりも近くて、鼓動が揺れる。

 そんなことばかりに意識がいって全く答えようとしない私に手こずってか、颯見くんがそのくしゃっとした髪に片手を当てた。整った顔が半分隠れて、繋がっていた視線も解かれる。
 だけど、すぐにその手は髪から離れて、再び視線が繋がった。

「ここには他に誰もいねーから大丈夫。ゆっくりでいいから、聞かせて?」

 真っ直ぐだけど、優しい目。その視線に鼓動が鳴るのを聞きながら、思考回路を働かせる。
 
 嘘をついてもきっとすぐにバレる。そんな気がして、必死に思考を巡らせた結果、導き出した回答を、ゆっくりと吐き出した。

「朝羽くんと私は、置かれている状況が、似ていて、同じ悩みを持ってること、最近知って、」

 また、朝羽くんの切ない横顔が頭に浮かぶ。

「それで、共感し合ってただけ、だよ」

 颯見くんの顔を目の前にしながら、こんなことを話すのは、なんだかすごく不思議な気分。
 上手く答えられたかわからないけれど、一通り言い終わって、小さく安堵した。

「悩み?」

 だけど、颯見くんの顔が、怪訝そうに歪む。
 少し不安も混ざったような声に、また心配をかけてしまってると気づく。
 慌てて、口を開いた。

「その悩みは、誰かが悪いとかじゃなくて、心の中の問題で、自分の中だけの問題で、」

 フッと、形のいい口から息を漏らす音が聞こえた。

「そっか」

 颯見くんが柔らかく笑って、頬杖をついていた手を離す。

「こんな所連れてきてごめんな。戻ろっか」

 すくっと立ち上がった颯見くんの吐く息が白い。
 歩き始めた颯見くんに、思わず待ってと言いかけそうになって、ハッと首を振った。

 先に歩き出す颯見くんの背中。
 感覚の無くなりかけた指先に、冷たい風があたる。

 名残惜しいなんて、そんなこと思っていい立場じゃない。
 颯見くんは、早く戻って鈴葉ちゃんの所へ行きたいはずだから。私が泣かされてると思って心配して、私を優先してくれただけなんだから。

 ありがとう。ごめんね。
 心の中でつぶやいて、颯見くんの後に続いた。