消極的に一直線。【完】

第8章 慰め合い


 練習試合の日から、数週間の時が過ぎて、三学期の中間試験も淡々と終わった。

 数学のテスト返しで、湧き立つ教室。
 定位置の一番後ろの窓際の席から、ふと廊下の方に視線を向ける。授業中だから、廊下に人は誰もいない。

 あの練習試合の日から、颯見くんは、もうずっと十二組の教室に姿を見せていない。颯見くんのクラスは遠いから、廊下ですれ違うということもない。

 颯見くんと鈴葉ちゃんを心から応援できるようにならなきゃいけない私にとって、とてもありがたい環境になっているはずなのに。

 つい、部活の時間に、教材室の窓から、サッカーをする颯見くんの姿をこっそり眺めてしまう。
 だけど、そこで目にするのは、颯見くんとマネージャーの鈴葉ちゃんの楽しそうな姿で、それを見るたび、チクリと胸が痛む。

 私はどこまでも、自分勝手で厚かましい。

「よーし、全員テスト返し終わったな。みんなもっと勉強しろよー」

 数学の先生が、体育会系の口調で言い放って、あ、と付け加えた。

「哀咲、昼休み、この課題のノート集めて職員室に持って来てくれるかー?」

 不意にふられて、慌てて頷くと、先生は満足そうにうんうんと頷いて教室を出て行った。直後にチャイムが鳴って、昼休みの始まりを告げる。
 
 テスト返しで湧き立ったままの教室が、さらに賑やかになって、教卓に、課題のノートが積み重ねられていく。 
 ノートを教卓に持っていく人がいなくなって、ノートのタワーが完成したのを見届けて。
 自分の課題のノートを鞄から出し席を立つと、斜め前の朝羽くんが、同じタイミングでガラっと立ち上がった。

「哀咲さん、」

 練習試合の日以来、あまり話すこともなかったから、声を掛けられて、少し身体に力が入る。

「僕も手伝うよ」

 そう言われたけれど、先生が指名したのは私。朝羽くんに迷惑をかけるのは、なんだか忍びなくて、大きく首を横に振った。

「いや、でも、生徒に雑用押し付けるのってどうかと思うし。どうせ購買のパン争奪戦に参戦したいだけだろうしさ、弟の僕が一言言ってやらないと」

 言われて、そういえばあの先生は朝羽くんのお兄さんだったということを思い出す。
 
 朝羽くんと同じ苗字だから、下の名前で太吉(たきち)先生と呼ばれてる。
 数学教師で、生徒との距離が近くて、親しみやすい先生。

「それから、哀咲さんと少し話がしたくて」

 付け加えた朝羽くんの表情が少し曇った気がして、ゆっくりと首を縦に振った。

 ノートは朝羽くんが、さりげなくほとんど持ってくれて、私は朝羽くんの後ろから職員室までついていくだけだった。
 
 職員室に入ると、太吉先生と物理の先生が豪快な笑い声を飛ばしながら、楽しそうに話していた。

 失礼します、と中に入ると、太吉先生が私達に気づいて「おお、サンキューな、こっちこっち」と片手を上げる。
 朝羽くんがノートを机の上に置くと、太吉先生がにんまり口を横に延ばして笑った。

「和仁、女の子手伝うなんてさすが俺の弟だな」

 つんつん、と朝羽くんの肩を軽く突く。その太吉先生の指を、朝羽くんはさりげなく避けて、呆れたようにため息を吐いた。

「兄さん、生徒に雑用押し付けるのは良くないよ。早く職員室戻りたいからって」

「何言ってるんだ。ノートを運ぶという仕事を通して、人の役に立つという学びを得てほしかったんだ」

「購買のパン早く買いに行きたかっただけでしょ」

「いや、そんなことは……」

 タジタジになる太吉先生と、呆れたように息を吐く朝羽くん。

「じゃあ、用も済んだし行くよ」

 朝羽くんがひと通りのやり取りを終えて、私に「行こう」と笑顔を見せた。

 去り際に「さすが、和仁は女子に優しいねぇ」なんて太吉先生の声をうけながら、職員室を出る。

 失礼しました、とドアを閉めると、朝羽くんが、はぁ、と小さく息を吐いた。

「ごめんね、哀咲さん。あんな兄さんだけど本当はすごく生徒思いなんだ。嫌わないであげてね」

 言われて、頷くと、朝羽くんは安心したように頬を緩める。
 朝羽くんって、実はすごくお兄さん思いなんだ。

 だけど、そんな穏やかな朝羽くんの表情は、すぐに消えてしまった。

「哀咲さん、」

 職員室前の廊下に、少しだけ緊迫した空気が漂う。

「ちょっと中庭行かない?」

 きっと、この前の話の続きだ。

 頷いて、拳を握った私の手に、すうっと冬の冷たい空気がかすめていった。