午後の試合が始まってから、試合の風景は、ただ景色として視界に映っているだけで、脳裏に映るのは、朝羽くんの切なげな悲しい笑顔。

 ――鈴葉と嵐は、両想いなんだよ。お互いに気付いてないけど 

 朝羽くんに言われた言葉が、何度も、頭の中で繰り返されている。

 ――哀咲さんには辛いだろうけど、嵐が鈴葉以外の人を見ることはないよ

 そんなこと、ずっと前から知っていたことなのに、どうして今になって初めて知ったみたいに、衝撃を受けているんだろう。

 颯見くんは、鈴葉ちゃんが好き。何度も言い聞かせてきた。ずっと、わかっていたことだ。

 鈴葉ちゃんは大切な友達。だから、二人が両想いだと知ったなら、喜ぶべき。
 それなのに、胸がジュクジュク痛んで、気持ち悪くて吐き出してしまいそう。

 すごく、胸が痛い。

「――ずく、しずく、雫っ!」

 ゆらゆらと肩を揺らされて、見ているようで見えていなかった視界が、だんだんと鮮明に見えてきた。

 倖子ちゃんが私の顔色を見るように、顔をのぞかせている。

「大丈夫!? 試合、結構前に終わったけど、」

 そう言われて、はっと辺りを見回すと、あんなに賑わっていたグランドの周囲は閑散としていて。残っているのは、私と倖子ちゃん、私の後ろで賑やかに会話を繰り広げる吉澄さんたちだけだった。

「あ、ごめんね」

 私のせいで、寒い中待たせてしまった。申しわけなくて、勢いよく立ち上がると、立ちくらみでふらっと視界が揺らいだ。

「雫、急がなくていいから。それより、何かあったの?」

 倖子ちゃんが、眉を寄せて私に視線を投げる。反射的に、首を横に振った。

「そっか……。じゃあ帰ろ」

 そう言った倖子ちゃんの横顔が少し寂しそうに見えて、しまった、と思った。
 これほど寒い中、考え込んでいる私を待ってくれていたのに。何もなかったはずがないなんて、倖子ちゃんは絶対わかりきってるはずなのに。

 ほぼ反射的に首を横に振ってしまった理由は、たぶん、倖子ちゃんに心配をかけたくないっていうだけじゃない。

 私はまだ、朝羽くんに言われた言葉を受け止めきれずにいた。言葉に出すことができずにいた。
 きっと言葉にしたら、何かが溢れ出てしまいそうで。

 校門を出ると、見慣れた下り坂が続いている。
 倖子ちゃんは、白い息をはぁっと吐きながら、私の隣を、ゆっくりと、たぶん私のペースに合わせて歩いてくれている。

 後ろからついてきている吉澄さんたちは、とても賑やかに楽しそうに会話をしているけれど、倖子ちゃんは、何も言葉を発しない。
 きっと、私が何かあったことを察して、気を遣ってくれてる。

 このまま、倖子ちゃんに何も言わないのは、失礼だなと思った。
 こんなに心配してくれているのに、何も話さないのは、よくない。
 
「倖子ちゃん、」

 思い切って声を出すと、倖子ちゃんが、ん?、と穏やかな顔を向けた。

「実は、ね、今日、昼休憩のときに、」

 震えそうになる声を抑えながら、一言一言、伝えるための言葉を紡ぐ。
 話そうとしている内容を察したのか、倖子ちゃんの目が少しだけ大きくなる。

「朝羽くん、と、話したの」

「ん、朝羽!?」

 うんうんと聞いてた倖子ちゃんが、一瞬止まって、戸惑った声を上げた。

「あ、ごめん、続けて」

 倖子ちゃんは、すぐに喉の奥で咳払いして、それで?、と顔を近づける。

「朝羽くんに、いろいろ、教えてもらって」

「いろいろって……?」

 訊かれて、喉の奥がぐっと詰まる。
 倖子ちゃんは、ん?、と眉を寄せて、首を傾ける。

「それは、」

 ドクドクと鼓膜の奥で脈が主張を始める。

「それは……」

 心臓が押しつぶされて痛い。
 続きを言い出せない私に、倖子ちゃんの眉が下がっていく。

「それ、は……」

 颯見くんと鈴葉ちゃんは両想い。朝羽くんは鈴葉ちゃんが好きで、私と同じ立場だということ。 
 どれも喉の奥でつっかえて、痛くて、言葉に出ていかない。
 
 倖子ちゃんの手が、ぽんぽんと優しく頭に当たった。

「言わなくていいよ。言えないんでしょ?」

 その瞬間に、喉の奥がヒリヒリっとして、鼻の奥がツーンと痛くなる。

「ご、めん、なさい」

「いいよ。あたしの方こそ言いたくないこと言わそうとしてごめん」

 倖子ちゃんが頭を撫でてくれる温もりが、じんわりと沁みて心地良い。

 気付けば、後ろの吉澄さんたちも静まりかえっていて、横切る自転車の音と、私たちの足音だけが鳴っていた。