試合が始まってからは、ボールを器用に操る颯見くんから目が離せなかった。

 コート内を走り回る真剣な表情も、点が入ったときの嬉しそうなハイタッチも、ときたま見せる、汗を拭う仕草も。

 一つ一つが、胸の奥を熱くする。

 ピーーッ。
 ホイッスルの音がグラウンドに響き渡って、午前の試合の終了を告げた。
 選手たちは、始まりのときのように整列して、ありがとうございましたと礼をする。

「颯見のとこ行ってきたら?」

 倖子ちゃんに言われて、えっ、と声を出した。

「だって、日曜日待ってるって言われてたじゃん。観にきたのに挨拶しないなんて逆に失礼じゃない?」

 倖子ちゃんがそう言いながら口角を上げて颯見くんを顎で指す。
 倖子ちゃんの顎先を辿って颯見くんに目を向けると、他の部員とベンチに向かう颯見くんの姿。

「あたしトイレ行ってくるし。颯見んとこ行ってきなよ?」

 ポンと肩を叩かれて体が揺れる。立ち上がった倖子ちゃんに、つられるようにして自分も立ち上がってしまった。

 頑張れ、と笑ったあと、制服の埃を手でパンパンと払いながら校舎の中へ入っていく倖子ちゃん。

 その倖子ちゃんのすぐ隣にある、赤い自動販売機が視界に入った。
 不意に、『春風の紅茶』を渡したときの記憶がよみがえる。
 
 あれを渡したら、喜んでくれるかな。
 ポケットの財布を確認して、自動販売機に向かい、お金を入れてボタンを押す。出てきた『春風の紅茶』を両手で持って、グラウンドの方へ戻った。

 彼のいるベンチの方へ向かおうと、階段を一段下りて。
 ――そこで、足は地面に縫い付けられてしまった。

 ドクドクと嫌なものが、また。

 視界に映る、颯見くんと鈴葉ちゃんの姿。隣同士に座って、柔らかく笑う鈴葉ちゃんと、満面の笑顔を向ける颯見くん。
 冬の冷たい空気が、缶を持つ指先にしみる。

「哀咲さん」

 ふと声をかけられて、重たい視線を無理やりそちらに動かした。

「ちょっと来て」

 どこか悲しげな表情を浮かべた朝羽くんが、小さく手招きして歩き出す。
 尋ねる間も、頷く間もなく、冷え切った脚を動かした。

 あの場からそれほど離れていない、用具小屋の前。

 立ち止まった朝羽くんに続いて、私も止まる。くるりと体をこちらに方向転換した朝羽くんに、何を言われるのかと、力が入った。

 朝羽くんの口が、ゆっくりと開く。

「哀咲さんってさ、」

 少しの躊躇いのあとに、もう一度彼の口が開く。
 
「嵐のこと好きでしょ?」

 一瞬、時間が止まった。
 ドクン、と心臓が大きくうなりを見せて、今度は鼓動が速まっていく。

 なんで。どうして、気付かれてしまったんだろう。
 
 朝羽くんは、颯見くんにも鈴葉ちゃんにも一番近い人。誰よりも二人の関係をよく知っている人。
 その朝羽くんに気付かれてしまうなんて。

「初詣のときになんとなく気付いた」

 言われて、顔がぶわっと熱くなるのがわかった。
 そんなにも、わかりやすい態度だったのかな。

 恥ずかしくて顔を俯けた私の耳に、朝羽くんの震えた息の音が聞こえた。

「僕は、鈴葉のことが好きなんだ」

 少し掠れた声。驚いて思わず顔を上げた。

「報われないのはわかってるけど、もうずっと前から、この気持ちはどうにもならない」

 朝羽くんが鈴葉ちゃんのことを好きだってことは、みんな言ってるし、知ってた。だけど、"報われない"って――それは。

「鈴葉と嵐は、両想いなんだよ。お互いに気付いてないけど」

 瞬間、ひゅっと喉が鳴った。
 何かに耐えるように眉間に皺を寄せて、そう告げる朝羽くんを、私はただ見つめることしかできなかった。

 数秒間、沈黙だけが流れた。
 徐々に思考が動き出す。

 ああ、やっぱり、そうなんだ。
 颯見くんが鈴葉ちゃんのことを好きなことは知っていたし、鈴葉ちゃんももしかしたら颯見くんが好きなんじゃないかって感じることはあった。
 
 ずっと、私が颯見くんを好きになるなんて厚かましくておこがましいことだって、わかってたはず。知ってたはずだ。

 今更驚いて傷付いたり、するようなことじゃ、ない。

「哀咲さんには辛いだろうけど、嵐が鈴葉以外の人を見ることはないよ」

 朝羽くんの言葉が喉の奥に詰まる。
 冷たい風が、頬を撫でて去って行く。

「僕も……同じだけどね」

 少し掠れた声。

「鈴葉が僕を見ることは、ない」

 朝羽くんはそう言ってふわりと悲しげに笑った。
 ズキンと心臓が打つ。何度も、何度も、打ち付けてくる。

 手が震えて、その手に持っていた缶の存在を思い出した。
 
 厚かましく、颯見くんに渡そうと買った『春風の紅茶』。こんな下心に(まみ)れたもの、もう渡せない。
 そう思って、それを朝羽くんに差し出した。

「……え、これ、くれるの?」

 少し震えた朝羽くんの声。頷くと、ゆっくりその缶に手が延びてくる。

「……ありがとう」

 朝羽くんが受け取る。
 押し付けてしまったけど、颯見くんに渡すよりは、きっといい。
 
 そのまま体を方向転換して、グラウンドに走った。