風と今を抱きしめて……

 ユウの引っ越し先は、写真の女性、川上真矢の住む隣の部屋だった。

 真矢の部屋に異変があれば直ぐに乗り込めと言う命令で、警察にも話が伝わっており現場を押さえなければならなかった。


 引っ越し早々、真矢とは階段ですれ違った。


 ユウが引っ越しのあいさつをすると、真矢は作り笑顔を見せるが、子供が生まれる幸せを感じさせなかった。


 それは、真矢の目の下のアザのせいだと分かった。

 夜になると、アパートに谷口が毛布を抱え入って来た。


 引っ越せと言ったわりに、部屋の中には何も無かった。

 谷口が買ってきた弁当を食べる。


「酷い話ですよ。女殴るなんて…… しかもお腹に子供いるのに……」


「なぜ、おじさんは彼女を助けるんですか?」

 ユウは、谷口に尋ねた。


「社長の昔懐かしの初恋の相手の御嬢さんらしいです。偉く助けられた事があるみたいです。でも彼女、社長の事知りませんから、よろしく」


「わかりました。あの…… 谷口さんは社長の運転手は長いんですか? って、言うかこれは運転手の仕事じゃないですよね」


 谷口は、深い意味を含めた笑みを見せた。


「もう、二十年以上ですよ。俺、プロレスしかやって来なかったから、怪我したともうダメかなって思っていたんです。
 そしたら、ふらっと立ち寄った旅行会社でバックパッカーのチラシ見つけて、その時たまたま居た社長が、何も聞かず別の世界を語ってくれたんです。
 それが、俺を新しい世界に引っ張ってくれて、社長が運転手やってくれって言った時は嬉しかった。社長と一緒に、嬉しい事も悲しい事も見てきました。今は真矢さんを助け出す事が私の任務です」


 谷口は力強く言った。


 その、言葉に谷口と一郎の強い絆を感じさせていた。


 その日は何事も無く静かに朝を迎えた。