吐いた息が白くなって凍るこの季節に玄関のドアを開けて外に出ることには、もちろんだが理由がある。

 毎週火曜日。夜の10時30分。
 この時間は俺にとっての、決してなににも譲れないそのぐらい大切な時間であった。
 チカチカと光る街頭に身を打たれながら、静まり返った冷たな道を歩く。
 一つ目の信号を右に曲がって、シャッターが並ぶ商店街をまっすぐ突っ切り、奥の公園を抜けると、その先は静まり返った先ほどの道がまるで嘘のように夜の街である。
 酔いつぶれてその場に倒れこむ背広姿の男。腕を組みきゃいきゃいはしゃぐ世間擦れしたカップル。必死になって街ゆく人に声をかけるキャッチ。スマートフォンに目を落とし、もくもくと歩く学生。
 いつもとなにも変わらない。この街。この風景。そして俺も、いつもと変わらない駅前のコンビニに足を向けていた。
 古びたコンビニのドアが、音を立ててゆっくり開く。定員が気だるげに俺に歓迎の挨拶をよこす。
 もう何度目だろうか。ここに来るのは。ここに彼女に会いに来るのは。
 コンビニの天使
 名前も知らない、いつもこの時間に必ずいる彼女のことをそう呼び始めて、もうずいぶん経っただろう。
 二つに分けられ束ねられたおさげの三つ編み。少し大きい縁の薄い丸いメガネ。その下に大事にしまわれた大きな瞳。ラフな大きめの服。
 誰が見ても地味だと思うだろう。しかし、そんな彼女から出るほんのりとした可愛さが、俺のハートを見事に撃ち抜いたのである。
 彼女に会えるこの時間だけが、今の俺の唯一の楽しみであった。
 決して話しかける事はなく、名前も知らないまま。目を合わすことさえせず。
 それでもよかった。十分すぎるくらいに。
 彼女に会えたと言う事実さえあれば、彼女が存在してくれるだけで今の俺は幸せなのだ。
 だから今日も、いつもと変わらず野菜ジュースを手に取りレジに向かい、お金を払ってそのままなにもなく帰宅するだけのはずだった。のだが、
 俺は最後に一目見ようとドアをくぐる前に彼女に一瞥を投げようとしたその時、彼女は俺を見つめていたのだ。いや、正確に言うと、見つめていたなどと言う可愛いものではなく、大きく目を見開き、少し顔を青ざめさせて、まじまじと凝視していたのだ。
 あまりの驚きに動揺を隠せず俺はそのまま固まってしまった。
 すると彼女は慌てて目をそらし、あたかも何もなかったかのように手に持っていた雑誌に目を落とした。
 
 帰り道、高鳴る心臓を抑えられず、足取りが儘ならなくなりながらも、俺の内心のテンションは今までにないほどに向上していた。
 これほど喜びを感じたことがあっただろうか。生きていることに感謝するほどだった。
 しかしその喜びは束の間であった。
 この日の出来事が運命で定まっていて、必然だと言うのなら、諦めざるをえないだろう。
 俺がコンビニの天使である彼女と会えたのはこの日で最後だった。今なら彼女がなぜ俺をガン見してしまったのかよく分かる。
 地味でほんのりとした可愛さを放つ彼女への恋心もこれで終わってしまったのだ。
 なぜなら彼女、コンビニの天使は存在さえしていなかったのだから……。