(嗚呼、一度だけお会いしたあの人を、忘れられない。)

桜は忍に貰った扇をずっと眺めていた。
誰にも見つからないように、と唐櫃に隠しておいたのだ。

(葛には、見つからないようにしないと。葛ってばそういうの、感づきやすいからなぁ。)

葛は、桜の乳母である。
勿論、本名ではない。
葛は既に三十路を越えた女房であるが、昔は「今小野小町」と呼ばれていて、美人だったらしい。

(葛、怒るかしら。私、これ頂いたことを言ったら。)

桜は忍に、宴の為に父君が用意された真新しい扇を渡してしまったのだ。それなのに、古い扇を使っていては、バレる可能性も高くなる。