PMに恋したら


「お父様から今日は二人で出かけたいと聞いたものですから」

「いえ、そんなことは言ってませんが……」

坂崎さんは困った顔をしている。困っているのは私も同じだ。さては父が図ったに違いない。話を聞いていないふりをして無言で新聞を広げて読み始めた父に「行かないから!」と吐き捨ててコップを乱暴に流しに置くと勢いよく階段を上った。「実弥!」と母が咎めたけれど私は引き返さない。
勝手に休日の予定まで決めてしまうなんて最低な父親だ。周りを巻き込む自己中心的な態度には毎度のことながら嫌気がさす。

部屋に入って靴下を履いてカバンを取ると、再び階段を下りた。誰かに止められる前にスニーカーを履いて玄関のドアを開けた。後ろでドアが閉まる直前に「待ちなさい!」と父の怒鳴り声が聞こえたけれど、私は既に駅に向かって走り出していた。
絶対に止まらない。坂崎さんと出かけたりしない。

父の言いなりで生きてきた。それが当たり前で、望みがあっても最後には父に従ってきた。今の恵まれた生活環境は父のお陰だとは分かっているし感謝もしていた。帰る家があって、自分の部屋があって、豪華な食事ができて立派な会社に勤められている。
けれどもうそれじゃだめなんだ。私はいつまでたっても自分の力で生きてはいけない。もっと強くならなければ。
意志を貫かずに流れに身を任せてきた今までの生き方を後悔している。もう父の言いなりにはならない。





定期券を使って電車に乗り古明橋まで来た。立ち寄った駅前の不動産事務所の窓ガラスには予算を少しオーバーする家賃の物件が並ぶ。
実家から近い物件では一人暮らしの意味がなくなってしまう。けれど古明橋周辺の物件は私の身の丈にあってはいない。生活していけないわけではないけれど、初めて一人の生活で食費や水道光熱費が毎月どれほどになるのか想像ができないから、古明橋で契約するのは考え直した方がいいかもしれない。

実家から離れていて、かつ古明橋からも離れていない予算内の物件を気長に探すしかないかと思ったとき、不動産情報が貼られたガラスに後ろを通った社員の姿が映った。それは別部署だけれど出世頭として有名な横山課長だ。