家出をした大学時代を思い出す。あの時は勝手に就職先を決められ反抗したからだ。結局父に屈してしまったけれど今は私ももう子供じゃないのだ。

大通りに出てタクシーを拾った。運転手に行き先を告げると、後部座席で震える手を反対の手で押さえ込んだ。坂崎さんに掴まれた部分はまだわずかな違和感がある。
シバケンからもあんな風に強引に迫られたことがあった。あのときも驚いて悲しかったけれど、今度は坂崎さんに対する嫌悪もプラスされてより混乱している。

シバケンは酔って気が大きくなったせいもあった。けれど坂崎さんは明らかに悪意がある。あんな人とは死んでも結婚なんてできない。暴行です、と訴えることができるのではと思えるほどに掴まれた腕が痛かったのだ。

タクシーの窓に雨が当たり、風で弾かれるのが目に入った。気がつけばフロントガラスに雨が打ちつけられ、ワイパーが左右に振れた。傘が必要なほどに降ってきたようだ。
困ったな。傘なんてないし、シバケンのアパートの目の前まで行ってもらわなきゃ。

コートのポケットに入れた財布の中を見ると千円札が2枚と小銭しか入っていなかった。幸いクレジットカードは入っているからそれで支払うしかない。どんどんメーターが加算されていく。痛い出費だ。
ドアノブにかけてきたままのコピー用紙も気になった。ビニールに入っているから大丈夫だとは思うけれど、誰か家の中に入れておいてくれたら助かるのにとぼんやり思った。

シバケン起きてるかな?

『そっちに行ってもいい?』とLINEを送ると既読にはならない。きっと寝ているのだ。

アパートの前に着いてタクシーを降りると階段を駆け上がった。恐る恐るチャイムを鳴らしても部屋に人がいる気配がない。もう一度押しても小窓から明かりすら漏れてこないから外出しているようだ。

ドアを背にして廊下に座り込んだ。仕方がないから今晩はここにいよう。雨も降っているし、真夜中に出歩くよりは寒いけれどここにいた方が安全だ。