天寧寺での三か月に渡る療養を終えた土方さんと共に、
福良へ移動した私は、負傷兵たちの手当の手伝いを続けた。

出血したした血は肌に薄黒くこびりつき、
刀での傷ではなく銃弾を掠めた傷跡は、
体中のあちこちを傷つけ、時に風穴をあけて、
動けずにうずくまる者、息をするだけでもやっとの状態で体を潜めるように縮ませる者、
様々だった。


私は桶に水を汲んで、支度されている手当て用の晒を手にして、
負傷兵たちの傷口の洗いを心を鬼にして行っていく。


傷口を洗い終えた頃には、ぐったりとしてしまう負傷兵もいるけど、
時折、『有難う』と言葉を紡いでくれる人たちもいる。


何も出来ないただの女子高生だった私が、
ほんの少しでも、今、ここで誰かの役に立ててるかもしれない。

そう感じられる瞬間が、今は本当に嬉しい。

負傷者の手当ほかの役割と言えば、
井上さんが京に居た時からきっちりと教えてくれた炊事、
そして宿陣地の掃除とか、何か出来ることを見つけてはこなしながら過ごしてた。

そんな中、新選組にも出陣の命が下る。

土方さんも、隊士たちと一緒に母成峠へと行こうとしたものの、
斎藤さんが土方さんの状態を見て、今回も隊長は斎藤さんがつとめると告げた。

『副長は、援軍が必要になったときに応援して欲しい』と。

自分たちが戻れる場所を守って欲しいと。


斎藤さんのそんな想いをくみ取って、今回の母成峠への出陣を土方さんは諦めた。

出陣前夜、舞と敬里は斎藤さんと共についていく道を選んだと聞いた。
お互い、どうか無事で。


そんな望みを抱えながら、挑んだ戦。