その夜、佐奈は11時を過ぎても帰ってこなかった。
8時頃に光輝から、打ち合わせが長びいたから佐奈と食事をして帰るという連絡をもらったきり。
未だGPSの位置情報は、サクラージュホテルを示したままになっていた。
何してるんだ、あの二人。
ふと嫌な妄想が頭に浮かぶ。
いや、まさかな。
さすがに俺が生きてるうちは、光輝だって遠慮して佐奈には手を出さないだろうし。
とりあえず落ち着こう。
イライラして良くないことを考えてしまうのは、この頭痛のせいかもしれない。
俺は薬を出して、いつもより多く痛み止めを飲んだ。
これで明日の朝の分はなくなってしまったが、通院日だから何とかなるだろう。
それから30分ほどして、頭痛も治まりかけた頃、ようやく佐奈が帰ってきた。
『おかえり。ずいぶん遅かったね』
自分でも驚くほど低い声を出していた。
『あ…うん。ちょっと色々あって』
佐奈が言葉を濁す。
『色々って何?』
『別に…圭吾には関係ないでしょ』
そう言って、佐奈が俺の前から立ち去ろうとした時、彼女の髪から仄かにシャンプーの香りが漂った。
これは、いつものじゃない…。
そう感じた俺は、佐奈の腕を掴み引き止めた。
『佐奈。シャンプーの匂いするけど…どこかでシャワーでも浴びてきた?』
心臓が信じられない早さで鼓動する。
『うん。浴びてきたよ。婚約パーティーの打ち合わせの後に光輝さんとホテルの部屋にも行ったからね』
返ってきた佐奈の言葉に、ガツンと頭をかち割られたような衝撃を受けた。
『そうか…。もう……光輝と』
あまりのショックに、立っているのがやっとだった。
それでも俺に怒る権利なんてない。
佐奈を幸せにしてくれと頼んだのは自分だし、光輝は光輝のやり方でそれを実行に移しているだけだ。
佐奈だって光輝に惹かれているからこそ、拒まなかったのだろうし。
誰も悪くない。
ただ……。
我が儘を承知で言わせてもらうなら、せめて俺の目の届かないところでやって欲しかった。
さすがにこれはキツい。
『何よ。悪い?』
俯く俺に、佐奈が問いかける。
『いや…。あいつなら佐奈を幸せにしてくれる筈だよ』
俺は佐奈に微笑んだ。
それだけは嘘じゃないから。
すると、
『そんなこと…圭吾に言われなくたって分かってるから』
俺の手を振り払い、佐奈は部屋へと上がって行った。
一人取り残された玄関で、大きく一度深呼吸した。
そして、ようやく覚悟を決めた。
佐奈から離れるという覚悟だ。
体も限界だったし、もう後のことは光輝に任せればいいと思った。
俺は佐奈の部屋に行き、彼女にこう告げた。
“婚約パーティーが終わったら、佐奈は光輝のマンションで暮らしなよ”と。
もうこれで、
彼女とはお別れだ。



