突然、さっき右川がぶら下がった俺の右腕に、今度は右川よりも幾分背の高い女子がぶら下がった。
ホットケーキの匂いから一転、全く別世界の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「もー、探したよっ」
新幹線ですっ転んだバスケ部女子、宮原マヤだった。
掴んだ手をそのまま、今度は手を握ってくる。こっちが驚いて引っ込めると、「さっき助けてくれたお礼がしたくてさ」と、今度は両手で握ってきた。
「沢村に、何かおごったげるね……あっち、行かない?」
まるで時間が止まったみたいに足を掻くのをピタリと止めて見物している右川・鈴原・海川の3匹に気付いて、宮原は眉をひそめた。
「あっちのお店、見に行こ?」と腕を強引に引っ張る。
確かに、右川達にジロジロ見物されるのも何なので、ここは宮原に従った。
宮原に捕まって通りを歩き、ジュースをおごってもらい、辺りに誰も居なくなった頃を見計らってか、
「もー、やっとゆっくり話せるよ。あんときは助けてくれて、ありがとね」
手を貸しただけ。わざわざ本人を捕まえて繰り返して言う程の事だろうか。
「つーかさ、あれはないんじゃない?どう見ても阿木が機嫌悪くしただろ」
そこを突っ込まれるとは意外……宮原は、そういう反応で、
「んー……てゆうかさ、あん時は沢村に助けてもらいたかったんだよね」
「何で?」
そんなの、どっちでもいいだろ。そこまで阿木を避けたい理由が分からない。
「だーって、ずーっと沢村の事、いいナって思ってたから……チャンスだと思ったのっ」
隙あり、一本!
宮原は、一段と強く腕にしがみついた。マジか。マジなのか。
宮原は全くノーマークだったけど。勘違いじゃ無いよな。コクられている夢じゃないよな。俺って、俺だよな。
「気が付かなかった?あたし、ずっと狙ってたんだよ」
「き、気付かないよ。何で。どこが良くて」
「沢村って優しいからぁ」
良く言われる事ではある。だが1対1で女子から改まって言われると、さすがに照れ臭い。
宮原は、割と賑やかな女子軍団の1人だが、こうして1対1で喋った事はあまり無かった。茶色掛かった髪の毛が柔らかそうで、それが長くてキレイだなと、薄っすらそんな印象で覚えている。
よく見ると、薄く化粧していた。その顔を覗きこまなければ分からないほど、上手にぼかしている。これなら先生も気付かないだろう。それに嫌な感じは無かった。何より、さっきからずっと漂ってくるその甘い香りの方が気になる。
「今。何か付けてんの?」
「今?シーブリーズだよ」
パウダーローションが、そこまで攻撃的な気がしない。
宮原は、くんくん♪と自分の手首やら腕やらを匂って、「あ!」何かに気付いて俺を見上げると、
「さっき、通りのコスメショップで色々と試し付けしたから、それだ」
と、にっこり。
「色々混ざって、どれが気に入ったのか分かんなくなっちゃったよ」
そう言う事か。
「沢村は、こういうの嫌い?」
「ううん」
もう少し穏やかに香るなら、「いいと思う」
よかったー、と、宮原はますます甘えるように、腕にしがみ付いた。
それこそ、もう少し穏やかに近付いてくれたら……俺は周りを気にして、仕切りと目線を動かした。
バスの集合時間が10分後に迫り、なのに俺らは集合場所から遥か遠くまでやってきてしまっている。そろそろ折り返さないとまずいと言うと、「あそこからバスに乗ればいいんだよ」と、宮原は指さした。
考えている時間はないので、2人でバス乗り込む。
学生らしき人間は、俺達だけだった。
「てことで、旅行中さ、あたしと遊んでくれる?」
「それって、つまり旅行用って事?」
「と、なるかどうかは、君次第という事でぇーっす」
宮原だけではない。目の前のガキが、何かを期待する目で(?)俺達をジーッと見ている。
「今夜ってどうしてる?剣持らと、どっか行くの?」
何にも約束してない。成り行き上、そういう事にしてしまった。
「じゃさ、ご飯食べたら外で会おうよ。こんな風にバスに乗って、どっか街を散歩しない?」
宮原は、かなり積極的に踏み込んできた。
このまま進んでいいのかどうか、まだまだ迷って、こっちが煮え切らないでいると、「大丈夫。大丈夫」と俺の頭を撫でる。
「そーやって迷う所が、大人っぽく見えても可愛いんだよね。沢村は」
1番柔らかい所をくすぐられて、こっちは確実に掴まれてしまった。
宮原は……多分、上手いのだ。
女子から可愛いと言われる事に少々抵抗がある俺でも、〝大人っぽく見える〟という1言が免罪符になって、怒る気は起きない。
バスが興福寺に到着し、そこで、「それじゃ、後でね」と、宮原とはライン交換した。うまくいってまとまれば、いつかの勝負は俺の勝ちだと、胸を張って浅枝に……そう言えば、浅枝とのあの競争(どっちが先に相手を見つけるか)には何も賭けていなかったな。(意味無い)
先生から怒られる直前ギリギリ、3組のバスに駆け込んだ。
また鈴原の隣に座る。
途端に、「あの宮原さんって、沢村くんの彼女?」
訊かれたから、「違うよ」と答えた。
「宮原と、話したことある?」と、勢いで訊き返してしまったが、止めとけばよかった。
「そんな僕みたいなの、あっちが相手にしないよ」 
鈴原とは、壁をますます高くしただけに終わる。
「はい、八橋の抹茶味。プレミアムだよーん」
座席の壁を越えて、後ろから進藤が無邪気にお菓子を寄越してきた。一瞬で空気が和む。プレミアムだとかいうお菓子も美味い。
女子は、てゆうか進藤は、こういう美味い物を見つけるのが上手いな。
生徒会への土産はこれを買おうかと、もうほとんど決まりそうになる。
バスが出てからしばらく経った頃、微妙な沈黙に耐えられないのか、「右川さんって、ああ見えて神経細かいんだね」と、鈴原の方から切り出してきた。
「神経が細かい?あれの?何で?どこが?」
鈴原の表情が一瞬、曇る。
まるで右川の人格を痛烈に否定したように取られてしまったかと、慌てて、
「そ、そんなキャラじゃないと思うんだけど。なんで?」
「ホームシックみたいだよ。さっき話の途中で、急に帰りたいとか言って」
しぶとい。まだ忘れていないのか。ミッション完了には程遠いか。
京都から新幹線に飛び乗れば、今日中、帰ろうと思えば帰れる。
やっぱり広島までは油断できない気がしてきた。
「逃げ出さないように、鈴原があいつを捕まえといてくれよ」
「そんな、捕まえるなんて……女子だし」
鈴原は、まるで拷問を頼まれた輩のように悩んで、困って、口ごもった。
また壁が……もう何を話す事も諦めよう。
俺は再び、寝たふりを決め込んだ。