「阿木は……永田会長が、おまえを推薦するって聞いて、言い出した俺を恨んでると思う」
本来なら、阿木自身が会長職を目指し、永田会長はそんな自分を推薦してくれると信じていただろう。会長の命令で、生徒会全体が阿木を応援してくれると予想していたに違いない。
そこに俺がしゃしゃり出て右川なんかを持ち上げてしまった。永田会長も満面の笑みで、「それじゃ、責任持って後援本部長。よろしく頼むよ」と、俺の肩をポンと叩いて……あの時、阿木は、右川を恨めしそうにジッと見ていた。
「結局、全部あんたが悪いんじゃん。あんたのせいでゴチャゴチャしてんだからね」
「だーかーらー」と、ついうっかり右川の口癖まで出てくる始末。
「だから、そのゴチャゴチャに巻き込まれるなよって、言ってんだろが」
「あんたが関わるから、余計ゴチャゴチャする。もうあっち行ってくんない?鹿せんべいが不味くなる。地味に旅行の邪魔だから」
「その旅行に!一体誰が連れてきてやったと思ってんだ」
「&%#♪」
ムッときて、「おまえなんか重森にグチャグチャにヤラれちまえ」と、木刀で右川の肩先を突いた。そこを、ちょうど通りがかった原田先生と吉森先生に見られて、吉森先生には、はっきり嫌悪感丸出しで睨まれる。
俺はすかさず木刀を背中に隠した。(遅いけど)。
すかさずチビは、「のぞみちゃ~ん♪うえ~ん」
嬉しそうに(?)泣き声で駆け寄った。
〝ヤラれちまえ〟
そんな汚い言葉、今まで1度だって使った事なかったんです……俺には言い訳するヒマが無かった。
「お兄ちゃん、イエロー・カードだぞ」と、原田先生には渋い顔をされる。
「君の言葉とも思えないわね。そんな酷い事言うなんて。刃物まで……まさか君がそんな物買うなんてさ」と、吉森先生からも多大な顰蹙を浴びた。
「あ、や、これは、なんちゃってですよ。俺のじゃないんです。ちょっと、つい勢いで借りちゃって」
「言い訳するくらいだから、危機感は感じてるみたいだね」と、やんわり許されたか。いやいや、吉森先生の目はどんどんキツくなっている。
俺が年月を掛けて積み上げてきた信用が、このチビのせいで急落失墜だ。
原田先生に嘘泣きでしがみついた右川の方は、「そろそろ出発だから、早くバスに乗れよ」「うん♪」「ゲロ吐くなよ」「うん♪」「トイレ行ったか?」「うん♪」と、これだけで済んでいた。
我慢できるヤツはさらなる我慢を強いられ、我慢できないヤツはこれ以上キレないように周りが気をつかう。本当に、納得いかない。「あたしはねあたしはね、みんなとバスに乗ろうとしたの。そしたらアイツがアイツが邪魔してさ」と、俺を都合良く売り飛ばしている。
〝おまえなんか、ズタズタにヤラれちまえ!〟
俺は、頭の中で木刀を振りまわして、荒れ狂った。
まさか右川がこの言葉通りになるとは、この時、俺には知る由もなかった。
……とか言ってみたい!

興福寺はクラス毎、決められたグループで歩き回るように指示が出た。
あまりにも隊列が乱れているから、先生の仕切りが入ったように思う。
鮮やかな緑に囲まれた興福寺は、いつの間にかポツポツと降り始めた雨をはらんで、より一層沈んで見えた。
五重塔。
国宝館。
俺達に紛れてガイドの説明に耳を傾ける一般人もいたし、一般人の背後で偶然を装って写真にぼんやり写り込むという挑戦的な仲間の1人も居て……場所的に、打って付け過ぎて怖い。
国宝館では〝阿修羅像〟を眺める。
天平彫刻の代表作。
繊細で優美。
アスラという戦いの神からの由来。
最初くらいはと、俺は鈴原と並んでガイドの説明に耳を傾けていた。だが、次第に眠気が襲ってくる。進藤が、「面倒くさ」と、プイと他所に行こうとしたら、
「だめだよ。阿修羅像はちゃんと見なきゃ。勿体ないよ。ここにきた意味がないよ」
鈴原が活き活きと引き止めた。
「そんなに?これって、そこまで重要?」
俺がそう尋ねると、意外な人から突っ込まれたと感じたのか鈴原は、ちょっと驚いて見せた後、
「結構、自分の内面をエグるよ。こっちが楽しい時は明るく見える。落ち込んでたら暗く見える。何か後ろめたい時は……どう見えるんだろうね」
そう来られると、俺も進藤も、気持ちを掴まれて引き止められてしまう。
「何でも見抜かれて、身動きが取れなくなるかもしれないよ」
そう来られると、そんな鈴原がガイド以上に面白くて、俺の身動きが取れなくなった。当然というか、進藤も身動きが取れなくなっている。
「戦いの神って、怖いおじさんみたいな仏像ばっかじゃん。そういう時代に、こういう優しそうなアニキみたいな仏像って珍しいよね」
鈴原の、そんな砕けた説明も、分かり易くて引き込まれた。そう言われてみると、今までの仏像は剣持の親父似の、そういう類のゴツい物ばかり。
3つの顔を持つ阿修羅像。
手には木刀も握っていないし、花束を抱えてもいない。……武器は無し。
全てを受け入れるように求める手、あるいは拒んで弾く指先、何が来ても自分を見失わないと真っ直ぐに前だけを見つめて、例えどうなろうと、そこはもう覚悟を決めて立っている……。
俺はいつの間にか進藤と2人、仲良く横に並んで、呆けたように阿修羅像に見入っていた。
「スーさん居たらさ、うちの班ってガイドいらなくない?」
「そうだな。要らないな。金取れるよ」
「こんなの、旅行ガイドにも書いてあるから」
鈴原は照れ臭そうに頭を撫でる。
「そんな事よりさ、京都って観光客こんなに来るのに、どこのお寺もゴミ1つ落ちてないって、そこが凄くない?」
鈴原は、そんな細かい隅々まで見ているのかと、
「おまえって凄いな。ヤバいよ。マジで感心するよ」
本気でそう思った。やっぱり鈴原は恥ずかしそうに、
「そういうのって本じゃ分かんないから、やっぱり来てこそ、だよね」
俺も進藤も感嘆の吐息を漏らした。やっぱり、断然、右川には勿体ない気がしてくる。
そこにサラサラと流れるように聞こえてきたのは……。
「人間って多面的っていうか、1つの枠には収まらないわよね」
阿修羅像を見上げ、阿木は、したり顔で聞いた風な事を言ってやがる。
こっちを振り返りそうな気配を感じて、俺は阿木に背中を向けた。