京都駅に降り立った。
外の空気を吸い込み、聞きなれない言葉にいちいち反応しながら、ガイドにそって3組のバスに乗り込む。
出席番号上、バスでは前の方の席で、俺の隣は……鈴原翔太だった。
鈴原は、「奈良公園と言えば?」
窓際席で隣の俺ではなく、通路向こうの男子に問いかけた。
「それはやっぱ鹿せんべいだろ」と返されて、「せんべいの方かよ!」と俺には見せた事のない鋭い突っ込みを入れる。
その横で、「腹減ったぁぁ、何か無い?」と嘆く男子を、「我慢しろよ」と諫めて、「公園で弁当出るからさ」と、しおりを見ながら教えている。
その腹減った弁当男子も、同じクラスでありながら俺は普段からあんまり喋らないヤツで、何となく……入って行けない空気というか、自分は邪魔者というか、そこら辺和気あいあいの空気を変えてしまうように感じて、俺は寝た振りを決め込んだ。
彼女じゃなくていい、ここにノリが居てくれたらなぁ、と寂しく思いながら。
後ろの方では女子軍団がにぎやかだ。
さっそく何かを食っているのか、甘い匂いが漂ってくる。
「あたし気持悪くなっちゃう。薬飲まなきゃ。誰か酔い止め持ってない?」
自分で持ってこいよ。つーか、そんだけ喰ってたら、気持ち悪くもなるよ。
「こっからバスで1時間も乗るの?やだ、お腹空くじゃん」
あっちについても、まだ11時。そんだけ喰って、まだ腹減るのかよ。
俺はいちいち心の中で突っ込みながら、ふと思い出したようにアクエリアスを飲んだ。
「沢村くん、ラスク食べる?」
唐突、後の席からピョンと飛び上がって、それを渡してきたのは、進藤ヨリコだった。右川のコアな友達。
「さんきゅ」
遠慮無く貰った。砂糖とバターの味がするフランスパンのお菓子で、2枚入り。
美味い!てゆうかこれ、アクエリアスに合う。
「僕には?」と、さっきの弁当男子がさっそく飛びついた。
「僕も」と、鈴原も便乗して、無邪気に手を出す。
「じゃはい。これ2枚入ってるから、2人で分けてね」
進藤に1枚ずつ食べろと決め付けられて、「なーんか、沢村くんだけ贔屓だよね」と、鈴原は俺を無邪気に責めて掛かりながらも、やっぱり〝くん付け〟。
「そりゃそうだよ」
進藤は、またそこで俺にだけ、「はい。チョコレートもあげる」
「さ、さんきゅ」
この流れで差し出すには、手が微妙に震えた。
進藤の周りは、「贔屓だ贔屓だぁ」と大合唱。「怪しい怪しい」と連呼する。
「当然でしょ。沢村くんには、カズミちゃんが世話になったんだもん」
進藤は、ね~?と、俺に同意を求めた。
「何の事?」と尋ねる鈴原に向かって、進藤は事の経緯を説明している。
「突然、旅行行かないとか言い出すから、びっくりだよ。先生からも電話掛かってきてさ」
そして俺に嫌々連れて来られた右川を見て、「グッジョブって感じだよ」
「進藤も、あんなのと友達やるのも大変だな」
「そだね。カズミちゃんは特に。言い出すと聞かないからね。今日はマジで来ないと思った。今だって、くるっと帰っちゃうんじゃないかって」
進藤は溜め息をついた。
右川という女子はそんなに厄介なのかと、鈴原は、何かを疑い始めたような。
「ま、右川のヤツ、朝から具合悪かったみたいでさ」
思わず庇ってしまったが、丸っと嘘なので、作り笑顔が曖昧になる。
バスが走り出した。
ガイドの案内が始まると、真面目グループはその声に聞き入る。後ろの女子軍団だけが、いつまでもうるさかった。吉森先生の顔つきも険しくなる。
俺は中腰で立ちあがった。
その周辺に座っている男子の1人に思わせぶりな目線を送ってみる。
それを受けて、そいつは1番話の分かりそうな女子軍団の1人に合図を送る。それを女子が察して、「ちょい!聞けってさ」と周りを制して黙らせた。
さっすが……とは、俺の事かもしれないな。ははは。
いやいや、白状しよう。それだけではない。
俺が仲介を選んだそいつ男子は、後輩に1番人気だと言われる。当然というか、同輩の女子軍団にも一目置かれる存在であった。
俺が直接では、こうは行かない。クソ真面目マジうざい!と咎められるか、エラそうに説教すんじゃねーよ!と血祭りか、どっちかだ。
窓の外、不意に、京都らしい寺の建造物が目に留まる。
あれは何かな?と思ったら、その風流な景色はすぐさま、併走する大型観光バスに遮られた。向こうが忌々しそうにカーテンを閉めたので、こっちもシャットアウト。
そこから、ガイドの音声を子守唄に、俺は自然と、眠りに落ちた。
隣は、今も賑やかだ。

奈良公園。
鹿だらけ。
自由行動を、鹿と共に満喫する。
「わっわっ、鹿だよ!」
「わっわっ、いっぱいいる!」
「鹿、可愛い!ちょー可愛い!あたし乗りたい!」
最初は、鹿の珍しさと可愛らしさに惹かれていた女子軍団が、お菓子を横取りされ、しおりを齧られた辺りから様相が変わってくる。
「鹿せんべい、投げちゃえ!」
「餌付けだ!このッ!このッ!」
「ほーら、こっちに鹿せんべい……無ぇーよ、ばーか!」
鹿以上に攻撃的になっていた。
その色々に、期待に胸躍らせて集まってきた鹿が哀れでならない。
馬鹿とは、馬というよりは鹿の事であると……証明されてしまったな。
そして、鹿ではなく女子3人に囲まれて相変わらずのモテモテ、やってくる鹿をまるでヒーローの如く軽く追い払う同輩が居る。
俺が選んだ仲介役。後輩に1番人気。同輩にも大人気。スクールカーストの頂点に君臨するそいつ男子は……〝剣持ユミタカ〟である。
水泳部で、年中、肌は真っ黒。シャツがはち切れんばかりの筋肉質だが、笑うと八重歯が覗くあたりが愛嬌の良さを窺わせる。中学からずっとバンドを組んでドラムをやっていて、そこから取り込まれる女子が多い。そして何と言っても声が大きい。だから、どこに居るのかすぐに分かる。
「そんなのおまえだって一緒だろ」と、剣持はよく言うが、「俺は単に背が高いだけ。剣持みたいに大声で自分の存在をアピールなんかはしてねーよ」と、これは嫉妬じゃないからな。
その剣持は、大抵いつも女子3人男子3人という集団に居る。
3人の女子は単に剣持だけを目当てに群がっているだけなので、これを1つに括ってグループと言っていいのかどうかは、迷う所だ。
剣持と目が合って、それとわかるように手で合図したら、剣持も愛想良く両手を上げた。たぶん、ラッパーの真似だと思う。妙にキマっている。
こっちも似たような手振りで返したらば、あまりのぎこちなさに、その先でジッと立っている鹿に鼻で笑われたような気がした。
そして、あちらを見れば……鹿の攻撃をかわしながら弁当2個(!)を喰らい、そしてその弁当だけでは足らないと鹿せんべいにまで手を出し、モグモグと10秒以上も味わった所で、「これ、ちょーマズいじゃん」と、やっと気付いて、ペッと吐きだした同輩が居る。
奇跡の勘違い野郎、工藤ケンジである。味覚も鈍いか。
「食ってみろって」と、女子に向かって無理矢理、鹿せんべいを勧めて、「やだよ。不味いの知ってるもん」と速攻フラれている。
「コーヒーと一緒に食ったら、スタバのビスコッティになるんだって。これマジだから」と今度は別の女子に勧めて、まだまだ被害者を増やしていた。
仲間に隠れて、俺も試しに鹿せんべい齧ってみた所が、これは不味いというより全く味の無い代物である。鹿は、これの何処が美味いのか。そして鹿は……どこまでバカなのか。お辞儀(?)なんかしてる場合か。
見ていると、果敢にも、鹿の1匹が右川のグループに挑んでいる。
鹿は近づいた途端に頭を叩かれ、鹿せんべいすら貰えない事にも腹を立てたのか、とうとう右川のスカートを狙い始めた。
いやもう単に鹿はヤケになっているのかもしれない。
「もう!こいつら、肉にしてやるっ」
狙われるのは進藤でもなければ、その横の背の高くて横にも大きな〝松倉〟という女子でもなく、電話中のチビに集中していた。
(鹿は、意外と頭が良いのかもしれない。)
松倉と一瞬、目が合った。つーか、そこまでデカかった?明らかに太ったな。以前はもっと、ひょろっとした体型だったと記憶している。
そこに海川という男子がやってきて、「鹿シカ、居ないなぁ」と、クソ寒いオヤジギャグをかました。
右川はスマホを閉じて、「もー、そんなくだらね~事言ってないで助けてよ」
電話どころじゃないと、海川にすがる。
「シカたない。鹿をシカってやろう」と、海川はゆる~く鹿を追い払った。
くっだらねー。
と思いつつ、うっかり聞こえてしまえば、意外にツボって吹き出してしまう。
こうして右川の様子を垣間見ていると、あれなら逃げ帰る事は無いだろう。
俺はホッと胸を撫で下ろした。
右川は旅行を楽しみ始めているのだ。なので、ミッション完了。
「黒川は?」
そう言えば見ない。思い出したようにノリに訊いてみた。
「あっちだよ。たまたま遊びに来たとか言う女子をナンパしてるよ」
見ると、黒川は他校の列に堂々と紛れている。紺のジャンパースカート姿、そんな女子2人組を捕まえて、賑やかに盛り上がっていた。
程なくして、黒川は1人で戻って来ると、
「結果〝三条大橋のスタバで待ち合わせ、せぇへん?〟とかって事になっちゃったし」
何だか嬉しそうに、わざわざ知らせてきやがる。
「やっぱガイドは地元民だよな。ババァは要らねーよ」
何て言い草だろう。面倒くさそうに、「沢村は誘わねーし。工藤と行くし」と、こっちが頼んでもいない事で断られた。
「誘われても行かねーよ」
「そういうお約束のリアクション止めろっつうの。成長しねーな。マジ萎える。ツマんねぇワ」
ムカついたので、おまえにやるよ。
残りの鹿せんべい!