修学旅行1日目。
JR新横浜駅発8:19~京都着10:21。
その後、旅館に到着する5時まで、バスで観光……じゃなくて、校外学習。
のぞみ124号新幹線は横浜を離れ、京都へ向かう。
およそ2時間2分の旅である……。
ひとまず自分の席に落ち着いて、雑然とした車内を眺めた。
ひとつの車両に、前から3組、4組、5組の順に座ることに決まっている、とは表向き。5分もすると、馴染みの仲間のいるクラスに、それぞれが散らばっていく。通路はいったり来たりで忙しい。
あいつが居なかった!と愚痴って戻る途中で、ういーっす!と別の友達を見つけ、ここ貰うよ?と誰かの席に勝手に座り込んだ女子がいる。そこへ戻ってきた席の持ち主が座れず、また誰かを探して移動するといったような椅子取りゲームの連鎖が起きていた。
「富士山、見えたら教えてくれ」
「いいよ~。じゃ、富士山見えたら起こしてね」
「どっちも逝ってくれ。そろそろ名古屋だし」
とにかく食う。写真を撮る。男子にチョコを配る。女子に片っぱしから声をかける。ゴミをぶちまける。それをひたすら拾う……車内の、ありとあらゆるニーズに応える我が同輩集団。
世の中、こうやって上手く回るんだなーと、俺は感心して眺めていた。
女性の添乗員さんをナンパしている輩が居て……これは黒川だった。
ひっきりなしに閉じたり開いたりする自動ドアの向こうデッキ、吉森先生と打ち合わせ中のその添乗員さんを、「今晩って、暇っすか?」と、やたら口説いて2人の話を邪魔するという荒技をやってのけている。
本命と噂される吉森先生をそっちのけで、添乗員をロックオンか。
どういう作戦なのか。迷惑すぎて無意味だろう。
俺の隣、窓際の男子は新幹線が走り出すとすぐ、どこかへ消えた。
俺は宛がわれた車両の1番前、壁と向き合って通路側の席に1人座ったまま、通路挟んだ向こう隣のクラスメートと雑談に興じる。
それも〝鈴原翔太〟だった。
住んでいる場所は一駅隣り。きょうだいは居ない。
「あぁ、そいつね。大会で骨折しちゃって、今は入院中なんだよ」
という、共通の知り合いを見つけた。
そこから話題は、陸上部の先輩エピソードだったり。思いがけず中学ん時に行っていた塾が一緒だったり。ランニング好きだという趣味の話が1番ノリノリで、鈴原は、とにかく体を動かす事に情熱を傾けているようだ。
「今年は富士山の御殿場ルートに挑戦するんだ」と、山登りにも興味があるようで、いい加減な同輩とは違い、しっかり富士山をその瞳に焼き付けていた。もう絵に描いたような体育系、さわやかスポーツ男子である。
毎朝走っているとか、食事には気をつかっているとか、話していると鈴原はスポーツに関してかなりストイックらしかった。
旅行のしおりを最初のページから読み込んでいる姿からして、とんでもなく真面目な雰囲気が漂う。右川なんかに引き合わせるのは勿体ないような。
「鈴原はさ、彼女んとこ、行かないの?」
「か、彼女って……僕の仲間に、そんなのは居ないよ」
うんうん。よしよし。そういう種類の男子じゃないという直感は最初からあった。確実にフリーだと、一応その確認をしただけ。
「沢村くんは行かないの?右川さんとかいう女子の所へ」と、鈴原は笑う。
「バカ言うなって。違げーよ」
「でも、今朝仲良く一緒に来てたよね」
あれを見られていたのか。
そして、それ以上に居心地の悪い事に、こっちは鈴原を〝鈴原〟と呼び捨てだが、あっちは俺を〝沢村くん〟と呼ぶ。この壁は高い。
「どうかな?右川みたいな、ああいう女子。鈴原的に」と試しに聞いてみた。
「そんな。僕は、よく知らないから」
逆に、「右川さんって、どんな感じの子なの?」と訊かれてしまった。
いつもそうだが、右川をどういうヤツだか説明しろと言われるのが1番困る。ここで悪い事も言えないと、「まぁ、明るくて。見た目愛嬌もあるような」と曖昧になっていると、たまたまデッキからこちらに入って来た黒川が、「生意気なチビだ」と、バッサリ。側を通り過ぎた。
鈴原は、それを疑わし気に聞き流して俯くと、不安そうに窓の外を眺める。
淀んだ空気に決着を付けるみたいにアクエリアスを一口。また旅行のしおりを開いた。
話題の切り替え、俺は山下さんを登場させた。鈴原を見たことがあるらしいという話をしてみると、
「どんな人?」
そう訊かれて、山下さんの見た目などを話して聞かせる。
「あの人かな」と、鈴原には心当たりがあるようで。
「僕たまに……走ってて会うんだけど。朝5時とか。あんな早い時間に何やってる人?」
思わず言葉に詰まる。これ以上、突っ込んで聞けない。
何故、山下さんはそんな早朝、駅1つ先を歩いているのか。
それも、たまに……。
「そういや朝型ってさ、大体何時頃からやってんの?」
期末試験やら塾やら模試やら、そこから話の矛先をかなり強引に転換した。
鈴原の方は、会話に耳を傾ける情熱が失われてきた気がする(俺も)。
以降、多少なりとも盛り上がった所に向けて、「1号車で超新星を見た!」「違っがーう!あれは超特急だった!」「新幹線だけに?」「うわ!モンスター出る出る!」「めっちゃ魔法石集まった」続々と仲間が通路を通り過ぎる。
絶妙なコンビネーションで、俺達の会話を遮って消えた。
その多くは前の車両、1組と2組から来ている。
前の車両は先生が固まっているので居心地が悪いのだろう。厄介な輩が固まる5組までわざわざ行く必要はないが、3組あたりなら許せると溜まってくる。
実際は、女子の一群がその先4組手前でトランプを始めてしまい、その先には行きたくても行けない。というか通るのが面倒くさい。
そういう訳で、多くは3組で足止めを食らっているのだ。
女子が一人、すぐ側を通りがかった。
「1組で遊んでたら、5組に帰れなくなっちゃったよ」
同じバレー部という事もあって、しばらくは暇潰し&愚痴に付き合ってやる。
そこへ、ノリが5組からやってきた。「もう永田がうるさくてさ」と、俺を跨いで窓際の席に居座る。面倒なトランプ軍団を越えてまでやってくるとは。それほど永田が鬱陶しいのか。
女子はポッキーをつまみながら、
「バスん中でさ、5組女子の人数確認。今日は一日あたしがやれって言われちゃったんだけど」
「うわ。僕もだよ。男子の方の」
うへぇ、と2人は項垂れた。どうしてクラス委員にやらせないのか!と、何故かこの場で理不尽あるあるin5組、が始まる。
「うちの担任、困ったらすぐバレー部を頼ってくる気がしない?」
「そういや、吉森先生も何かとバレー部を頼るよなぁ」
2人の視線が、俺に集中した。
「え?俺のせい?」
「てか、あんた自覚ないの?」
「多分だけど、洋士が何でも引き受けるからだよ」
マジか。
「知らなかった。悪い。いつかオゴる」
「って、沢村が気前よくオゴってくれる時は要注意。みんなには騙されるなって言いたい」
「分かる、それ!」と、ノリが手を叩いた。
「あとさ、沢村が何の理由もなく褒めてくれたり、イライラする時も要注意。こっちが甘い顔見せたら、ころっと機嫌直って、頼み事してくるから」
「も、もう止めてくれって。これから頼めなくなるだろ」
それからね!それからね!と、こいつら2人が、沢村頼み事あるあるで盛り上がっていると、
「僕、ちょっと4組に用があるから」
鈴原が遠慮がちに、女子に席を譲ってしまった。
ぺこぺこしながら、通路のトランプ群を跨いで、鈴原はどうにかその先に通り抜けて行く。鈴原を追い出してしまった……後味の悪さを誤魔化すみたいに、「グミいる?」と女子から貰う。「お昼まだかなぁ」とノリは天を仰ぐ。
俺もアクエリアスを一口飲んだ。
「工藤さ、横浜駅でさっそく駅弁買ってんだけど。シューマイ弁当」
さっそく食べているというから、呆れた。
「あいつの腹の中はもう昼か」
「京都で、もみじまんじゅう買うとか言ってたよ」
「あいつは外に出したらいけない人。やべー奴」
女子は、ころころ笑った。
工藤の勘違い日常あるあるで、しばらくは3人で盛り上がる。そんな間も、後ろ辺りから賑やかな声が流れてきた。それが遥か後ろであってもよく聞こえる。
5組あたりの、ごくごく1部。……永田の周辺。
通路の、遥か後ろを窺った。トランプ軍団がバタバタと腕やら足やらが蠢いてせわしないその向こう、鈴原の向かった4組は、まるで陥没したように静かである。クラス委員、阿木の性格、そのままに……その阿木と、目が合った。
ぼんやり考え中、という振りを装って、俺はゆっくりと姿勢を戻す。
背もたれに深く沈んで、しばらく目を閉じた。
とにかく頭を整理しなくては。
ここ最近、色々な事が怒涛のように押し寄せている。
俺は、また魔がさした、のかもしれない。
右川と俺と重森。3人で繰り広げた戦いは、危機一髪、俺が勝利で幕を閉じた。その戦利品として、2人には俺の頼み事を何でも聞け!と突きつけたのだが。
重森はさておき、俺は右川に〝会長をやれ!〟と言った。
何かに付け事ある毎に、周囲が右川に呑まれていった経緯を考えた時、不思議な吸引力とでもいうのか、もしかしたらリーダーの素質あるんじゃないかと考えたのだが。少し後悔。いや、かなり後悔している。
右川を旅行に連れてくるだけでこれほど消耗している俺が、生徒会でヤツを操る事なんて出来るのか。
あの日……永田会長と松下さん、阿木の目の前に、俺は右川を突き出した。
「俺の代わりに、会長選はこいつを出します」
堂々と宣言。火蓋は切って落とされた。
「俺と会長で持ち上げれば、右川はいけると思います。お願いします」
俺史上初めて、永田さんという先輩を頼って……今さらそうした所でお互いの何が変わる訳じゃないと思った所が、予想に反して効果はすぐに表れた。
「それはどういう事だ。沢村は生徒会抜けるのか」
永田会長は、それはちょっと困る、と言う顔をしてくれて……驚いた。凄く。それならそれで仕方ないよな、と来ると確信していたから。
或いは、右川に向かう期待感で一杯で、俺の事なんかもうどうでもいいとか。
だから嬉しかった。泣くほどではなくとも、込み上げてくる。
「俺なんかで良かったら残して下さい」
どんな役割でも。ちゃんと補佐しますから。
「バスケとも吹奏楽とも無関係の生徒会か……」永田会長が呟くと、
「浄化終わり。とうとう来たな」松下さんはホッと胸を撫で下ろす。
「沢村が副会長で、阿木は会計を続投。浅枝と、残りの1枠は1年生か」
「理想的だな。これで安心して卒業できるよ」
2人がそんな目的を持って生徒会に関わっていた事を、不思議に思う。松下さんはいいとして、永田さんまで、それに同意しているとは意外だった。
そんなやり取りに飽きてきたのか、右川が荷物をまとめて帰ろうとする。
俺は襟首を捕まえた。「うぐぐぐぐ」
「右川さん、やってよ。推薦するから。生徒会が全面協力で応援するし」
「あたし、やりません」 
「どうして?」
「嫌だから」
これだ。
永田会長からここまで言ってもらって、名誉な事この上ないって言うのに。
「そんな簡単に言うな。もうちょっとよく考えろよ」
「考えた。できません。やりたくない。無理矢理やれって言うなら、あたし学校辞めます」
そうか、そこまで言うならー……諦めにも似た空気が漂った。
が!
俺は騙されないぞ。
こいつには前科がある。学校辞めるとか部活辞めろとか、そういう類、こいつの言うことは全部はったりだ。
「次の改選、俺が責任持って、右川を土台に乗せます。必ず」