午後10:00を回った。
イライラしたまま仲間の場所に戻るのをやめ、俺は相棒(アクエリアス)を求めてコンビニを探して街に出た。さすがに暗い。
宮原と歩いた時間には見られた人も動物も消えて、そこら中が闇に沈んで見えた。この辺りでは、夜中を徘徊するヤンキーは見当たらない。だが、別の恐怖が否応にも盛り上がる。
お寺には付きもの……不意に、人影。おいおい。
見覚えのあるジャージ姿。女子が1人、暗闇の中に浮かんで見えた。
谷村アム。
あのまま部屋にいると思っていたし、敢えて気にするほど意識も無かった。
見ていると、その谷村に向かって、男子が一人駆け寄る。
あいつは確か吹奏楽部の……高本。
真面目で大人しい感じの女子には、やっぱり同じような雰囲気の男子が吸い付くんだな。何やら2人、深刻そうに、楽しそうに……見えなくもない。
そんな様子を、遠巻きに俺は眺めていた。
高本は、重森を中心とする吹奏楽の迷惑団体とは距離を置いている。
あの団体の中にあって、邪悪な感覚に影響されていない珍しい種類だった。
しばらくすると、谷村を1人その場に置いて、高本だけが立ち去った。
「1人?」
頃合いを見計らって、俺は谷村に声を掛けた所、谷村は、「うあッ!」と飛びあがらんばかりに驚いて、「も、も、もう……誰かと思った」
俺だと分かってからも動揺が収まらないらしく、しきりと胸を押さえながら自身を落ち着かせている。
「ナンパだと思った?」と笑い掛けると、「沢村くん、冗談抜きで怖いよ。こんな真夜中に1人で居て、男の人が近づいてきたら、普通は」
変質者か。笑えない。「それ、ひどくないか」
谷村が動揺を鎮めているのか、それとも笑いを我慢しているのか、俺には判別がつかなかった。
「そっちもそっちだろ。1人で、いくら何でも危ないし。またそんな恰好で」
一目で高校生と分かるジャージ姿だ。
「確かに。名前入りっていうのが、ちょっと恥ずかしいよね」
まぁ、それも。
「さっきの。高本と仲良いの?」
ヤバい所を見られた、そう瞳が言っている。
谷村は、何かを覚悟するように一息ついて、
「うん。高本くんとは幼稚園から一緒で」
うちの学校は、大体はそういう繋がりだ。
「彼氏?」
「そんなんじゃないよ」
だろうな。
彼氏だったら、彼女をこんな場所に1人置いてけぼりで帰ったりはしない。
「私が一方的に、ずっと高本くんに片思いしてるの。それで、今思い切って告白したんだけど」
「え……」
その事実と言うより、そこまで踏み込んで教えてもらった事に、ただただ驚く。
「高本くんの家が厳しくて、女の子と付き合うの許してもらえないって、断られちゃったよ」
「あいつ、真面目か」
そんな理由で断る男子が想像つかない。
「そんなの、内緒で黙ってやっちゃえばいいのに」
つい、俺は乱暴な物言いをしてしまう。
「うちのママが、高本くんちのママと仲良くて。そういう所も嫌みたいで」
谷村の目から涙がこぼれ落ちた。
ギョッとして……動揺して、俺はもう、どうしていいか分からない。
だからといって、このまま谷村を放り出して立ち去るなんて、それは何だか自分が許せない気がする。
谷村はいつだったかノリに気を使ったように、
「沢村くん、ごめんね。私、もうちょっとしたら大丈夫。もうちょっとで帰るから。沢村くんは、もう帰っていいよ」と俺にまで気使いを見せた。
そういう事ならサヨナラ。
と云うのも……やっぱり1番、自分を許せない気がする。
その時、俺のスマホが着信した。
見れば、相手は剣持で、すぐ帰ってこいとか言ってんのかも。
谷村は、この状態ではすぐには帰れそうにないし。ここで1人は危ないし。
結果、スマホの電源を切った。
「その辺、ちょっと歩こうか」
俺は、自分が許せる、思いつき1番を選択。
谷村と2人、縦になったり横に並んだりしながら、遊歩道を歩いた。
さっき宮原と不埒にさまよった同じ道を、宮原とは全く種類の違う女子、谷村と歩いている……これを単純にモテ期とは言わないよな。
谷村は、声にこそ出してはいないものの、まだ気持ちが収まらないようで、しきりに鼻をすすり、ジャージの袖で目元を何度も何度も拭う。
「体操部って、女子何人居たっけ」
「2年は5人……」
「永田って、そんなやたら邪魔にくるの?」
「たまに……」
どっちも、とっくに知っていた。
「高本くんが……とか、してくれて。でも永田くん、全然聞いてくれない。こないだは……す、るから」
事実が全く伝わって来ない。
俺は、「永田は本当、迷惑だよな」と、したり顔で頷くしかなくて。
途中、自販機でジュースを買い、谷村にもおごってやった。
谷村が、「あ……」と呟いた。
〝ありがとう〟だと思う。
そこから、こっちが何も訊かなくても、谷村は高本との色々を語り始めた。
小さい頃は一緒の幼稚園、一緒のおけいこ、いっしょの高校に行こうって一緒に勉強して。
俺は、谷村の言葉がしっかりしてきた事に安堵しながら、「仲良いな」とか、「そんな事まで」とか。程良く先を促してみる。
「高本くん、どうしても双浜で吹奏楽やりたいからって、それで一緒に受かった第一志望は止めて」
それで2人一緒に双浜に来た、と。
「私も吹奏楽やろうかなって言ったら、凄く困った顔されて」
それで体操部に入った、と。
思えばあの頃から……と、さっきを思い出してなのか、また辛くなり、最後は、自分に手に負えない塊を飲み込むように、
「私が、あんまり纏わりつくから、そういうのが嫌だったのかもしれない」
谷村は、また、さめざめと泣き始めた。そこから、お互い一言も喋らないまま、そろそろ日付を越えようかという頃に、旅館に到着。
薄っすら暗いエントランスを、2人でこっそり忍び込んだ。
ロビーも廊下も、意外と静かで、誰が居ないとか暴れているとか、そんな事で先生が騒いでいる様子は無い。
「沢村くん、今日はありがとう」
別れ際、谷村はちゃんと笑ってくれたように思う。
やっぱり気を使ったのかもしれないけど。
谷村と続けて旅館に入った所をノリに見つかって、「あれ?さっきは宮原」
それを最後まで言わせてなるか!その首をギュッと絞めて黙らせた。
グゴ~ッと、人間の物とも思えない奇声を発するノリを押え込んだまま、谷村に目で合図する。
谷村は慌てて去っていく。しかしノリでよかった。永田とか黒川じゃなくて。
「ちょっとそこで一緒になってさ」
そのまんま。間違ってない。
ノリは何の疑いも持っていないように……見えたけど。
そこでノリのスマホが着信して、「剣持だ」
それを聞いて、自分のスマホは電源を落としていた事に気付いた。
さっそく入れて見ると、剣持から3件着信している。
何をそんな切羽詰まっているのか。
「女子が誰も居なくなったとかで、今から来ないかって」
という事、らしい。行けば、確かに女子は全員居なくなり、男子もかなり減っていた。「……静かだな」
「女は、陸上部とサッカー部の集まりに行っちゃったよ」
黒川が残念そうに、横たわっていた。「だったら一緒に行けば」と言うと、「てめぇは来んなって言われたんだよ!」と、ごろりと横回転。
「俺は来いって言われたんだけど。もういいだろと思って」
剣持は、そう言う時をチャンスとばかりに、藤谷女子軍団と距離を取ったという事か。
男子女子で犇めいていた部屋は、俺、ノリ、剣持、黒川の、男4人だけになった。
……静かだな。
さっきまで、ここはカオスだった。同じ場所だと思えない。
「実は、さっき一瞬、また永田が乱入してさ」
永田は、「わ!オンナが居ねーッ!寒ッ!」と、わざわざこっちの不幸を確認して出て行ったらしい。マジで殺意芽生える。
「それより工藤はどうした?」
「もう寝た。明日は帰る日だよなーとか言って」
これは男4人に静かな笑いを誘った。
面白いから、という理由で、ありのまま、あのままの工藤に任せている。
長い付き合いとはいえ、あいつの時間軸は全く読めない。