それから三日後、会津藩 松平容保公の命により新撰組は真木和泉を始めとする長州の残党を討つべく天王山へ入った。 しかし山頂まで来た私達が見つけたのは燃え盛る小屋の中で既に切腹をした真木等の無残な姿だった。 そして私達は更に残党狩りを続け、およそ1ヶ月も屯所を留守にする。 再び多くの有能な人材を失った長州達は惨敗し、朝敵となった。 元治元年、文月のことだった。