夕暮れ時、私は金魚の柄の浴衣を着て川へ出かけた。おばあちゃんの家の庭の紫陽花の枯れかけたものを桶に入れてそれも持って行った。前に何かで見た、何処かのお寺の池に紫陽花を浮かべた写真があんまり綺麗で、おばあちゃんの家に来たらしようと思っていた。近所のよく吠える犬がいる家を越えて、坂を下って川へ向かう。最後に来てからずっと変わらない静寂さとどこか他人事のような雰囲気に安心した。

川辺の石に座って、下駄を脱いで足をつける。じっとり暑い中を歩いてきたから心地がよかった。そうして紫陽花をひとつひとつ手に取って川に流した。枯れかけた紫陽花は汚いと言われるが、そんなことはない。死を目前に迎えた紫陽花こそが一番凛としていて綺麗なのだ。川の水に運ばれて、花弁が水面に散っていく。何て儚い。その光景に見惚れていると、風が木々を揺らし、青露を私の上に落とした。頭上で揺れる木々を見上げると、紺色の浴衣を着た男の人が横に立って色褪せた紫に染まった水面を見ていた。

「紫陽花を流しているのですか。」

方眉を綺麗にくっとあげて、その人はゆっくりと低い声でそう言った。

「ええ。以前に見たお寺の池に紫陽花を浮かべた写真が忘れられなくて。」

「そうですか。いや、お若いのに風流ごとの好きな女性もいるものだと驚きまして。」

「風流だなんてそんな、大それたことではありません。私、ただ好きなんです。平安朝とか、あのあたりの日本固有の自然の美しさを大切にしている感じが。だからあの時代の読み物だったり、季節の草花の描かれた扇子や着物が大好きで。」

あ、と口を指先で隠すようにして噤んだ。

「ごめんなさい、何だか貴方は分かってくださる気がしたの。普段こういったことはあんまり言わないようにしているんですけれど。」

「いや、気にすることはないよ。僕も平安のあたりは好きなんです。奥ゆかしくて情熱的で激しくて。流れる情動につい酔ってしまう。」

その人は私の口元を抑える手を優しく退けそう言った。

「じきに日も暮れる、そろそろ帰りましょう。近くまで送ってさしあげるよ。」

そう言って彼は私が先刻迄川の水を弄んでいた足先を、失礼、と言って取り出した手拭いで包むように拭いてくれた。
私は彼に導かれ、家路へとついた。彼の髪が赤々と輝く夕日のオレンジを宿して反射するのが綺麗だった。見知らぬ、けれども素敵な男性と並んで歩いていることが何だか気恥ずかしくて、下を向いたまま黙って歩いているとあっという間におばあちゃんの家の近所の神社の前に着いてそこで彼と別れた。

 今迄こんなことは一度もなかった。同じ年頃や少し年上の男性でも何だか妙に騒々しく、趣なんてものとは程遠い人ばかりで恋愛事には何も興味を持たないままここ迄きた。皆が言う恋のときめきも、源氏物語を読んで学んだくらいだ。このまま一生恋愛事とは縁はないと思っていたが、彼のあの佇まい、匂い立つような気品、紡がれる言葉、すべてが私を捕らえてやまなかった。名前くらい聞いておけばよかった、と少し自分を責めながら私は眠りについた。