「あっ…」


ヤツが先に気づいた。

何事も無かったかのように立ち去ろうとする。


でも、知ってしまっている私は放っておくことができなかった。

特別な理由など無い。 

ただ、なんとなくこのままじゃいけない気がした。

私は初めて自分からヤツに話し掛けた。


「あのさ…ちょっと待って」


ヤツの動きが止まる。

左肘と右膝から血が出て、ユニフォームに滲んでいた。


私は息を呑んだ。


触れて良い傷なのか、触れてほしくない傷なのか、分からなかった。

私がしたいようにするしか方法はなかった。




意を決してヤツの左腕を掴んだ。

ヤツが目を丸くする。
 
私はそれに構わず、話し出した。


「ケガしてる。手当てしないとダメだよ」


ヤツは優しく私の右手を払った。

夕日が窓から顔を出していて、その眩しさに私は目を細めた。


「蒼井さん、変わったねぇ。遥奏くんのお陰かなぁ」









コイツ…



一体何を知っているの?



どうして私を避けてるの?




疑問符が頭上に何個も浮かんだけれど、それをぶつける前にヤツの口が開いた。


「…大丈夫。おれは大丈夫だから」


ヤツはそう言い残し、私に汚い背中を向けながら、似合わないくせに、ムリして階段を勢い良く降りて行った。





屋上へのドアから僅かに風が流れ込んで来ていた。

机とイスは乱暴に積み重ねられ、ドアの前で静かにその瞬間を見守っていたのだろう。













ポタン―――――













たったひと粒だけ、感情が外に現れた。













ヤツは…








ヤツは…








ヤツは、もう…










私の名前を呼ばない。










     


変わったのだ。


いや、私が彼を変えてしまったのかもしれない。