「藤本、早すぎじゃね?」
「美麗ちゃんっ、中学陸上部、だからっ」
ゼェゼェと息を切らせて走る凛子は、一人だけ空気抵抗が3倍でもあるかのように鈍足だ。美麗はというと、余程佐々木に負けたくないのか、運動音痴の親友の事など失念して遥か前方を猛スピードで走っている。
「あーもう」
「あ、ささ佐々木君もっ、先にっ、どうぞ、行って下さ」
先に、と前を指した手がぐっと引っ張られ、体が前のめりになった。凛子の手首を熱い掌が掴んでいる。
「転ぶなよ」
素っ気ない声、裏腹な言葉、真っ赤な耳、殆ど力の込められていない手。
ああ、やっぱり彼は優しさで出来ているなぁ、と他のクラスメイトが聞いたら皆かぶりを振りそうだが、凛子は確信していた。
―佐々木君は優しいし、お家でお手伝いもきっとしている。
「ありっ、ありがとう。佐々木君」
「授業に遅刻すると、俺が困るだけ」
ならばノロマな亀など置いて行けばいいのに。
「うん。あり、がとう」
息も絶え絶えな凛子を引っ張る手は、彼の表情とは真逆に、温かくて優しい。
「しつこい」
「えへ、へへ」
その手のお陰で、どうにか凛子はチャイムが鳴り終わる寸前で教室へと滑り込む事が叶ったのだった。
「ごめん凛子!私夢中で突っ走って」
「あ、大丈夫だよ。佐々木君のお陰で間に合ったから」
「え、佐々木の?」
「うん。佐々木君が手を」
「ちょっ!それは、いいから杉原さん!」
「え?でも手」
「いいから!」
人と関わる事は傷付く事もあるのだろう。でも、それだけじゃない。人と関わる事で優しさを受け取る事もできる。誰かに優しくしたくなる。
そんなやり取りを愛おしみながら流れてゆく時間が、どれ程幸せかを、教えてくれた人がいる。
