「ちょっ!っと待って」

その細い腕を思わず掴んで呼び止めた。
いつの間にか教室はがらんとしていた。勿論彼もそろそろ移動して着替えなければ。でも今の最優先事項はそんな事ではなかった。

「先輩…?」
「とりあえず、こっち」
「わ」

くっと腕を引いて、もう片方の手で教室の扉を閉めた。
廊下から死角の壁と自身の間にいる彼女を見下ろして、煌生の喉が上下する。

「せ、先輩、あっ、あの」

誰もいない教室、目の前には学校一の人気者。まさかの状況に慌てふためく凛子。
しかしそれよりも混乱しているのは他でもない煌生だった。

「どうしてここにいるのっ?」
「え、だからカーディガンを」
「そうじゃないよね!そうじゃ、なくて…」
「……」
「き、昨日の事、怒ってないの…?」

言葉にしながら瞬時に後悔する。怒ってない訳ない。あんな自分勝手な事。許される筈がない。

「……」

案の定彼女は押し黙る。いつも愛しいその頬の赤らみさえ、今は怒りのせいに思えて怖い。

たっぷり無音の時を過ごして、煌生の心臓がそろそろ限界を迎えようとした時。凛子が意を決したように口を開いた。

「先輩は何で、私に、キキキ・・・キスをしたんですか?」

その問いを聞いた瞬間、煌生の頭を様々な思考が巡る。
どうせならもう、素直に本当の気持ちを伝えてしまおうか。
「好きだ」と。そうしたら君は喜ぶだろうか?喜ぶという事は、少なからず自分に対して好意があるという事だ。
でももし。もしそうじゃなかったらどうなる?

「何でって、それは…」

もう君のそばに行けなくなる?

―それ、すげー嫌だなぁ。

嫌なのに。彼女の林檎のような頬と、その上のガラス玉みたいに綺麗な瞳を見ていたら、いとも簡単に本音は零れ落ちた。

それは計算でも何でもなく。

「好きだから。君の事」