「とりあえず、せめてこれ着てって」

自分が着ていたカーディガンをさっと脱ぐと、細い肩にそれを掛ける。

「わ、だだだ大丈夫です!濡れちゃいます先輩のカーディガン」
「何言ってんの。りんごちゃんの方が大事に決まってるでしょ」
「えっ」
「いいから、着てて」

そう言われてしまえば押し返す事も出来ず、凛子は素直に頷く。
自分のものよりも遥かに大きい彼のカーディガンから、微かに香水のかおり。

―あ、先輩の匂い。

「っ…」

心臓が痛い。頬がぎゅっと熱くなる。それを隠すように慌てて口を開いた。

「お、大きいですね、先輩のカーディガンも」
「…も?」
「男の人の服って全部大きいんですかね。この間の宿泊研修の時佐々木君が貸してくれたジャージの上着もすごく大きくて、こーんな、ぶかぶかで。大きく、そこまで大きく見えないのに、皆、大きいんですね。そういえば佐々木君って、手も大き、い・・・」

とにかく喋った。取り繕うように。
しかしふと、煌生の反応が無い事に気付く。

「煌生、先輩…?」

不安げに見上げた先に、見た事のない表情で自分を見つめる彼がいた。

「せんっ…ぱ、んっ」

それは一瞬の出来事だった。
情欲を孕んだ瞳がゆらりと揺れ。閉じて、開いた瞬間。熱い唇が凛子のそれに重なった。
何が起こっているか、わからない。ただ、肩を掴む両手がぐっとくい込んで、痛い。

二、三度下唇を食べるように挟んで、湿っぽい溜息と共に離れてゆく。

「っはぁ…」

―な ん だ。

凛子の思考は全くの停止中。
視覚と。

―先輩の睫毛。ふさふさ。綺麗だな。

嗅覚。

―さっきカーディガンからした匂い。濃い。先輩が近くにいるから。

それだけだった。
彼女が、キスされたのだと認識したのは、彼の苦しそうに絞り出した一言を聞いた後。

「ごめん…」

何故、彼は謝っているのだろう。何故、私は何も言わないの。何故、胸がこんなに締め付けられるのか。
遠ざかってゆく彼の香りを嗅ぎながら、恐る恐る指先で唇に触れる。

先輩が私にキスした。

―先輩が。私に。キスした。

「な、なん、で…?」