階段を降りる彼の背中が遠ざかってゆくのを、凛子は咄嗟に呼び止めた。

「穂高先輩っ」

振り返りこちらを見上げる端正な彼の顔。

「今日も、私の為にお時間を割いて下さって、どうもありがとうございます」

ぺこりと頭を下げる。
こんな事、前にもあった気がする。それはいつだったか。
彼に初めて会った時。そう、教室で。

―・・・教室?

その時彼女の脳裏に教室とは違う景色が浮かぶ。
まだセーラー服の自分と、渡り廊下に2人の男子生徒。そして顔を上げ見上げた先にいたのは…。

「っ穂高先輩!」

はっと気付いて呼んだ先には誰もいない。

「あ、あれ?」



 その頃2年の廊下を足早に歩く煌生は、綺麗に流された前髪をくしゃりと掴んでその場にしゃがみ込んだ。

「やばい、何だこれ。何だよこれぇ…」

付き合ってもいないのに勝手にキスをしてはいけない事くらいさすがの彼でも知っている。好意のない相手から無理矢理されてどんな気持ちになるのかも。
彼女をそんな気持ちにさせたい訳じゃ勿論ないし、ただ自分に振り向かせようと始めた『特訓』だ。

なのにさっき自分は彼女の気持ちなど無視して、この手の中に閉じ込めてしまおうと、そう確かに考えた。そして行動しようとした。
もしチャイムが鳴っていなかったら、今頃彼女の軽蔑の眼差しが向けられていただろう。
そしてあの冬のように、自分に向け真っ赤な顔が恥ずかしそうに笑いかける事は、もう二度と無かっただろう。

「だめだ、俺ほんとだめだ」

今日は水曜日。次の美化活動は再来週の水曜日だから丸々2週間ある。それまでにこの収まりつかない、恋心と称するには些か邪な気持ちをどうにかしなければ。

「何だ、これー……」

ただ、どうにかしようにも、初めましてのこの気持ちをどうしたらいいのかさっぱりわからない。
とりあえず彼女に会わないという選択をしたが、これも正しいのかわからない。
いや、これは間違っていたかも知れない。だって、もう。

「会いたい…」