「あの階段、上がったとこだよ」
「えっ」

驚いて振り向く彼女に、煌生は微笑んで腰を上げる。そしてその隣に立つと、校舎の中、トイレの脇にある階段を指さした。

「上あがるとずらーっと教室並んでるから、自分の学校名の紙が貼ってある教室探してごらん」

並んで顔を近付けると、彼女の頬の熱が自分にまで伝わる気がした。
その真っ赤な頬に触れたら、同じ温度になれるだろうか。その真っ赤な頬にキスしたら。君はどんな顔するの。
触れようと伸びそうになる手を、彼女に笑いかける事で自制した。

「試験、絶対受かってね?」
「は、はいっ。ありがとうございますっ」

彼女は深々と頭を下げ、階段の方へ小走りで駆け出す。
お礼など言われても困る。彼女の為に言ったのではない。

「受かってくれないと、困るなぁ」

また会いたい。そんなふうに思っている彼自身の為だった。
その時ふと、熱い瞳に見つめられる華奢な背中が振り返る。ふわふわの髪が揺れ、真っ赤な顔が初めて綻んだ。きらきら、とか。ちかちか、とか。音のしそうな眩しい笑顔だった。
少なくとも煌生には、そうだった。

「どうも、ありがとうございましたっ」

一目惚れだとか、した事はなくとも本能的にこれがそうなのだろうと感じた。
煌生にとって未知の領域だ。
そもそも彼は、自分で気付いているのかいないのか、恋をした事すらない。【恋愛】と名のつくものを経験した事はあっても、そこに愛しいだとか恋しい苦しいという感情が伴わない。
たった今抱いた感情だって、本当に恋と呼べるものなのか。煌生には裏付ける記憶や経験が何も無い。でも。

「また会いたいなぁ、林檎ほっぺちゃん」

そう呟く彼の、彼女と同じ色に微かに染まる頬を、冬にしては暖かい風がそっと撫でていった。