「命乞いだと? お前の母はその命脈が尽きたからこそこの河原に連れてこられたのだ。ずい分と往生際の悪いまねをするものだ。そんなことが許されると思うのか」
「私に会うかどうかを決めるのは菩薩様ご自身です。だから私を向こう岸まで乗せていってください。もしあなたが拒むのなら私は泳いで向こう側まで渡ります。泳ぎには多少自信がありますから」
「娘よ。この川は浅く緩やかなように見えるがここは渡し守の舟しか渡れないのだ。お前などが飛び込んだところで向こう岸にはたどり着くまい。異界の水にさらわれて冥界とも現世ともつかぬ未知の世界へ引きずり込まれてしまうだろう」
「じゃあ、私が日向さんに同伴するのはどう? 私が一緒にいれば彼女が無茶をするのを抑えられるわ。菩薩様に迷惑をかけないようにちゃんと彼女を見張るから」
 横から氷室さんが提案する。
「良かろう。観音菩薩様の御覚えもめでたい雪の使いが付き添うのならこの娘が川を渡るのを許そう。ただし、勝手な行動に出るようなことがあったら娘の命の脈も母親と同時に尽きるということを言っておく」
「わかりました。恩に着ます、船頭さん」
 私は顔の見えぬ渡し守にお礼を言う。
「ねえ、お母さん。日向さんについていってあげていいでしょう?」
 氷室さんが晶子さんにたずねた。
「そうね。あなたがついていてあげた方が安心だわ。なにしろ葵ちゃんときたらこの三途の川を泳いでもいいとさえ言い出したのだもの。何をしでかすかわからないわ」
 晶子さんは心配そうな表情を浮かべている。

 晶子さんと母さんの魂を河原に置いて私と氷室さんは舟に乗った。蓑のマントを羽織った渡し守が長い櫓を操って船をこいでいく。しばらくすると白いもやの中から石ころだらけの対岸が現れた。

 私たちは対岸の河原に降り立った。渡し守は役目をはたしたので私たちにはついてこない。 
 河原の前方には二重の瓦屋根が付いた立派な寺の門のような建物がある。
「あれが冥界の門ね」
 私が言うと氷室さんが黙ってうなずく。
「とりあえずあの前に行くわよ」
 私たちは門の前まで歩いた。
 豪壮な門の間をのぞいても冥府の様子はよくわからなかった。
「すみませーん。どなたかいらっしゃいませんか」
 私はまるで人間の家を訪ねているかのように門の中に向かって呼びかける。