秋雨前線の影響で強い雨が降り続き、北よりの風が続くため、気温はほとんど上がらず 、夏が終わって、秋が。音楽を聴きながら、いくらか錆び付いたビニールの傘をさし、横浜駅の方へ向かっていると、朱美のことを思い出す。


朱美とは中学時代の同級生で、3年のときにおなじくらすだった。その時は特別仲がよかった訳ではない。二人とも文化祭の実行委員で、委員に関する実務的な話はしたけどもそれ以外は殆どなにも話してはいない。僕は自意識過剰で内気な人見知りの中学生だったし、朱美の方はクラスの中心のグループにいた少し派手めな女の子だった。共通の話題もなければ、どちらも無口で、しかも互いに相手を警戒していたから無理もない。朱美は、グループではリーダーではなかったが、ある意味でリーダーの女の子よりも影響力が強かった。口数は少ないが、最低限の言葉で相手を夢中にさせる力をもっていた。美しい容姿もあいまり、思春期真っ盛りの男子からは絶大な指示を受けていたし、女子からさえ憧れられていた。バレンタインになると同性から沢山のチョコレートを渡されていた。


誰もが彼女に嫌われたくないと願っていたし、誰もが彼女を怒らせたくなかった。グループのまとめ役だった女の子は随分傲慢に振る舞っていたが、朱美に一言注意されると、途端にしおらしくなった。みんなに慕われていた様にも見えたが、みんなは心の奥底で彼女を恐れていた様にも見えた。僕の方は、そんな彼女に特別好かれたいとは思ってはいなかったし、むしろ苦手でありなるべく関わらない様にしていた。というのも、朱美と初めて言葉を交わした時に、当時僕の大事にコレクションしていたものを鼻で笑われたからだ。僕はその時映画に夢中だった。当時おかねなんてない僕は、ただで手にはいる映画のチラシヲ熱心にコレクションしていた。クリアファイルにいれたチラシを友人の龍也と見せあってああでもないこうでもないと話していたのだが、通りかかった朱美が突然僕らに向かって、「そんなの集めてなにか意味あるの?」と冷めた表情で話しかけてきたのだ。女の子と話ことすら苦手だった上に、よりによって一度もしゃべった事さえないクラスの中心人物に冷たい一言を投げ掛けられて、僕はあまりのことに硬直してしまった。反応がないのがわかると、朱美はふっと音にならない笑いを残してそのまますたすたと行ってしまった。嫌なやつだという憤慨と同時に、実際問題集めたって意味なんかないのを頭のどこかで分かっていたというのもあって、僕は暫く落ち込んだ。結局友人も僕もその後少ししてあれほど夢中になっていたチラシ集めをやめてしまった。


だから、文化祭の実行委員を先生から押し付けられ、相手が朱美と知ったときはひどく厭な気分になった。特別仲良くなかった同級生からは羨ましがられたり、変わってくれと懇願されたこともあった。僕だって代われるものなら代わってやりたいが、先生の方からは却下されてしまった。文化祭の出し物のコンペで僕の出した案が気に入ったので、おまえが責任をもってやれと教師はいった。コンペと言ってもクラス全員で無記名で案をだしあい、そこから教師が選んだ四つの候補から投票するというものだった。僕は、当時好きだった探偵小説を元に、ミステリーツアーなる、要するに宝探しみたいなお遊びを少し冗談めかして書いた。出し物自体はろくでもなかったが、プレゼン様の説明文章が気に入ったということらしい。


実行委員のやることは、全体の作業としては、各クラスの委員たちとミーティングを開いて方向性やテーマを決め、ホール演目と教室演目を割り振る。それから、スケジュール、ポスターや飾り付けの作成プランの計画、それにともなうささやかな予算の配分と言ったものが中心で、それ以外の時間は各クラスの出し物の準備を取り仕切る。ホールと言っても体育館のステージのことで、演劇や合唱等の出し物をするクラスはここを使う。とは言えステージは時間に制限があるし、吹奏楽や演劇部などの文化系クラブの演目もあるので各学年1~2クラスずつ程度しか使えない。候補が多すぎる場合抽選となる。ホール演目以外のクラスは自分達の教室でそれぞれ出し物をする。僕のクラスはもちろん教室演目だ。


ミーティングはとなりのクラスの実行委員で、生徒会の副会長を兼任している大野という男が仕切っており、それ以外の実行委員は殆ど彼の言うことに首肯するに終わった。僕もそもそも自分の意見と言うものを持っていなかったので愛想笑いを浮かべて、良いですねと言うことしかしなかった。一方で朱美と言えば殆ど話を聞いてすらいない様子で頬杖をついて終始窓のを見ていた。大野は反対意見でなければ何でもいいと言う調子だったので朱美のことは無視していたが、首肯していた僕にたいしてはなぜか、頷いてばかりいないで意見の一つでもないのかと少し苛立った様に舌打ちをした。僕は小声ですいませんと呟き、ちっちゃい声で何をいってるか分からんと、さらに舌打ちされた。他のクラスの女子が小さく笑い、少し連鎖した。


出し物の準備をするためにクラスのホームルームで、役割を割り振ることになった。人前に立つのが苦手だった僕は朱美にその役回りを譲りたかったが、不機嫌そうに一瞥されたので、しぶしぶ教壇にたって、震えながらクラスメートに説明を始めた。朱美は少し離れて椅子に座って不機嫌そうに外を見ていた。時おり、何をいってるか聞こえない等のヤジも飛んだが、何回目かのヤジの際に、朱美がゆっくりと立ち上がりぎろりと一瞥すると野次った男子たちは萎縮したように黙り混み、教室は沈黙におおわれた。


役割配分で買い出しに関しては誰も協力してくれなかったので、立案者でもある僕が一人で行くことになった。僕の数少ない友人は日曜日には学習塾があるといい、それ以外は僕と一緒に貴重な休日を過ごすのを嫌がったからだ。いじめられていた訳ではないが、空気みたいな僕の存在はクラスメート達にとっては興味を掻きたてれらる様なものではなかった。そして僕の方も一人で行く方気楽だったし、仲のよくない同級生と一緒に気まずい日曜日を半日とは言え過ごすのは避けたかった。


次の日曜日の朝、僕は、母親に起こされた。日曜日位寝かしてほしいと寝ぼけたまま不平を漏らしたが、母親は含み笑いを浮かべて、友達が来てるわよと言う。友達と遊ぶ予定なかった(なにしろ龍也は塾だ)。


首を捻りながら、慌てて着替え、顔も洗わず玄関へそそくさと、不安を抱えながら向かうと、朱美が無愛想で突っ立っていた。少し茶色く染めた長い髪を後ろで縛り、黒いパーカーとブルージーンズに白いスニーカーというラフな出で立ちで、腕を組んで僕を睨み付けていた。当然だが約束した覚えはない。

「早くしてくれないかな。私もそんなに暇じゃないんだけど」と朱美は小さいが良く通る声で言った。呆然としている僕を見て、朱美は舌打ちをした。「買い出し行くんでしょ?」


顔を洗う間もなく連れ立って、駅へ向かった。出し物の細かい材料を買いに渋谷の東急ハンズへ向かうつもりだった。僕がそういうと朱美は一瞬眉間にしわを寄せ、つまらなそうにずんずんと歩き出していった。横に並んで歩くのも気が引けるし真後ろからついていくのもいささか怪しい。というわけで斜め後ろをまるで無関係であるかのように装ってついていった。朱美は駅につくまで一度もこちらを振り返らなかった。


電車に乗り、車内は程よくすいていた。ぽつぽつと空席があったが、大半が一人分だけだった。それを見て少し僕は安堵した。隣の席に座った時の気まずさを考えただけでもゾッとした。朱美は空席に座らず入り口付近の手すりを掴んだ。僕は一番端の座席の向かいのつり革を掴んだ。車内の人たちの大半は携帯をいじったり、雑誌や本を読んでいた。朱美は入り口の窓から右から左へ過ぎ去っていく風景を眺めていた。僕はそんな朱美の背中を漠然と見ていた。朱美は比較的背が高い。僕は大きい方ではないから、余計に威圧感を覚えるのかもしれない。けれど、よく見ると意外と華奢で、肩幅はなく、足は随分細い。結んだ髪の下から見えるうなじは透き通るように白く弱弱しさすら感じ取れる。そして、この人のことについて何も知らないってことを再確認した。それから今日の事唐突な出来事について、彼女がおそらく実行委員の責任感から、一人で買い物に行かざるを得ない僕のことを仕方なく手伝うことにしたんだろうなと思った。仮にそうだとして、随分乱暴で、もうちょっと手順というのがあるだろうとも思ったが、ちょっとだけ嬉しかった。