「何してるんすか?」

少しの時間が経ったとき、後ろから男の人の声がする。

えみと大谷は、声が聞こえてきた方を一斉に向く。

するとそこには、井上が立っていた。

井上は、大谷の方へと近寄り、胸ぐらをぐいっと掴み、強引に大谷を立ち上がらせた。

そのまま勢いに任せ、近くのフェンスへと大谷を押しつけた。

そして井上は鋭い目つきで大谷を睨む。

大谷は、両手を上げて目を丸くして井上の方を見た。

「落ち着け井上。」

一瞬のことで何が起きたか飲み込めなかったえみは、我に返り井上に向かって言った。

「井上くん待って。」

その声に、今にも大谷に殴りかかろうとしていた井上と手が止まる。

「大谷さんは、助けてくれただけなの。」
慌てて、酔っ払いに絡まれたことを簡単に話す。

大谷の胸ぐらをを掴んでいた井上の手の力が抜け、ほっとした大谷は、両手を挙げたまま

「そうゆこと。」

と少し戯けて言った。

「すいませんでした。」
井上が深くお辞儀をして謝った。

誤解が解けた途端、なんとも言えない気まずい空気が漂った。

沈黙が続く中、そんな空気を壊すように大谷が切り出した。

「じゃぁ誤解も解けたことだし、そろそろ行こうか。」

えみは俯いて、特に言葉を発するわけでもなく歩き出す。

井上も先を歩くわけでも、遅れて歩くわけでもなく大谷とえみの後に続いた。

気まずい雰囲気は続いたまま、えみと大谷の住むアパートに着く。

えみは大谷の方を向いて
「さっきは本当にありがとうございました。」
深々とお辞儀をした。

続いて井上の方を向いて軽く会釈した。

「おやすみ。」
部屋へと向かうえみの後ろ姿を見ながら大谷は言った。

えみが部屋に入っていくのを確認してから井上が大谷に言葉をかける。

「勘違いして本当にすみませんでした。」

「気にすんな。」
大谷は優しく井上に言った。

「それよりお前、もしかして、」
大谷は途中で言葉を止めた。

「いや。なんでもない。気をつけて帰れよ、井上。」

軽く手を振って大谷は部屋へと入って行った。

井上は、夜空に浮かぶ月を見上げながら、そこから少し離れた自分の家へと向かっていった。

月明かりに照らされて、井上の身につけているペンダントがキラリと煌めいた。

部屋に入ったえみは、しばらくドアに寄りかかりその場から動けなかった。

えみは部屋の明かりをつけることなく、靴を脱いで中へと入りソファに腰を掛け、そのままもたれ込んだ。

そっと目を瞑ると、井上が大谷を睨んだ鋭い目が思い浮かんできた。

そうしているうち、大谷に抱き寄せられた瞬間のことが思い出された。

体全体には、まだその感触が残っている。

えみの胸のドキドキは一晩中続いた。

大谷もベランダからそっと夜空を眺め、えみのことを思っていた。